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サヌキノススメ第7回 その1「豆芳(ひょうげ豆)」

 

サン・クラッケで取り扱っている県産品の生産者さんを一般のお客さんと訪ねる

「サヌキノススメ見学会」!

毎月1回、サン・クラッケで取り扱っている食品、工芸品を作っている会社を見学させてもらい、

その内容をブログや動画などでアップ!

ラジオのコーナーも放送して、より香川の県産品を身近に感じてもらおう!!!

 

という4月から始まったこの企画。あっという間に10月で7回目。

つたないブログですが、プリントアウトしてみるとけっこうな分厚さになったので達成感を噛みしめつつ、更新スピードが一番の課題であります・・・。

 

では見学先を手書きしおりでご紹介!

 

 

午前は「ひょうげ豆」でおなじみ、高松市国分寺町にある「豆芳」さん。

午後は欄間彫刻の伝統工芸士「小比賀彫芸」さんと「朝倉彫刻店」さんにうかがってきましたー!

こちらはどちらも高松市松福町です。

 

今回はまずJRを使っての移動。見学会でJRを使うのは2度目ですね〜。

 

 

端岡駅で降りて、歩くこと約10分。

もとは車の修理工場だったという建物が見えてきます。

 

 

こちらが豆芳さんの工場!

建てられてから60数年は経っているそうです。

線路沿いに建っているので通りすがりに見たことがある方もいるのでは。

 

 

最初に案内してくれたのは那須さんです。丁寧に説明をしてくださいました。

 

豆芳さんは昭和23年(1948年)に創業し、今年で66年目。

そして現在、製造を担当しているのは那須さんふくめ、わずか3人!

工場とはいえ決して大きくはないスペースで、効率的に動けるように器具が配置されています。

 

 

豆芳さんは香川の名物「しょうゆ豆」も製造しています。

奥の部屋は衛生管理のため完全別室での作業となっているので、ほんの少し外から覗かせていただきました。

希少糖をつかったしょうゆ豆や、薄皮で食べやすい大豆のしょうゆ豆など、数種類作っていらっしゃいますよ。

 

一般的なしょうゆ豆は皮がしっかりした「そらまめ」から作られますが、

今回、製造過程を見学させていただいた「ひょうげ豆」も「そらまめ」から作られています!

 

おおまかな作り方のご説明です。

 

 

「ひょうげ豆」とは煎ったそらまめに、しょうがや水あめで作ったタレで味付けした豆菓子。

知る人ぞ知る奇祭、香川町で行なわれている『ひょうげ祭り』にちなんで作られ、現在も祭りに奉納されているお菓子です。

 

豆芳さんではひょうげ豆のほかにも豆菓子を作っています。

今回は「ひょうげ豆」と「豆ちん」の製造工程を見せて頂きました!

 

まず「豆ちん」から!

作ってくれたのはこの道30年の新居(にい)さんです。

 

 

豆ちんはピリ辛味で、小ぶりな豆菓子。創業当時から作っています。

原料は落花生。

 

まずは回転釜に入れた落花生に、寒梅粉(かんばいこ)をまぶしていきます。

 

 

寒梅粉(かんばいこ)は、米粉を蒸してお煎餅にしてから細かく製粉したもの。

これが豆ちんの「衣」になります。

回転釜は絶えずグルグル回っているので、ぼーんやり作業を見ていると目が回りました。

 

 

衣をつけた落花生は火にかけて煎っていきます。

こちらの煎り機、どこかで見たことあるなーと思ったら、6月の見学会で行った則包商店さんですね!

(則包商店さんの記事はコチラです)

 

平たい網のなかに大豆を入れて・・・スイッチオン!

 

 

画像では見えませんが、火の上に網がかかっている状態。網は横にぐるぐる回っています。

だいたい15分で煎りあがり。

手動のタイマーと目視、すごく熱せられた豆を触ってみることで煎り具合を見ていきます。

 

 

そうして煎っているあいだ、こちらのセッティングが完了していました。

幼稚園、小学生のとき教室でよく使われていました、こんなストーブ!

 

 

ストーブに温めているのは豆ちん秘伝のタレです。

お醤油をベースに、砂糖、ガーリック、唐辛子、ケチャップ等々が入っております。

もちろん配合はヒミツ!

タレがかたすぎると豆にからみにくいので温めるそうです。

 

 

煎り上がった落花生は回転機に運んで、

 

 

ぐるぐる回る落花生にタレをかけていきます。

豆も熱いですがタレも熱い!新居さんの周囲に湯気がたちます。

 

 

まんべんなくタレがからまったら出来上がりです!香ばしくて食欲をそそる匂い!

 

網を張った入れ物に入れたあと、船のような形の網に移し替え。

 

 

どばーっと豆を全て入れて、そこからは2人がかりでの作業に。

手で豆をバラバラと広げ続けます。

 

 

回転機から出してこの網に移し替え、手で広げていくまでの作業はスピード勝負!

というのも、放っておくと粟おこしのように豆と豆がくっついしまい、商品になりません。

熱が飛ぶまで、豆を転がし続けます。

 

 

落ち着いてきたころ、できたてをいただきました〜!待ってました!

できたてをその場で食べられる。これも見学会のいいところ。

 

製品になった豆ちんも食べたことがありますが、1パック無くなるのが早いこと。

アツアツにも関わらず、ぱくぱく食べてしまいそうだったので自制。とても美味しかったです!

 

 

熱がとれて豆同士がくっつく危険性がなくなったころ、網の先の入り口を開け、

かたむけて豆を取り出します。

船のような形は考え抜かれて作られているんですね。

 

次は「ひょうげ豆」の工程を見てみましょう!

 

 

ナベに投入しているのは前回のひょうげ豆作りのなか、形や色が原因で製品にならなかったひょうげ豆。

味も質も製品と同じなのですが、豆どうしがくっついて一粒が大きくなっているとお客さんが食べにくいということもあり、食べやすさと見た目の観点から取りのぞかれています。

 

しかーし。捨てるわけではありません。

大事な役割が待っているのです!

 

 

それはタレの色づけ。

切り刻んでミンチ状にしたショウガ+水あめ(水とグラニュー糖)がタレになるのですが、

それだけではひょうげ豆のきれいな黄金色が出ません。

色素を入れることもありますが、いびつな形のひょうげ豆と、ナベの底にくっついている焦げが色出しの秘訣なのです。

 

 

タレを煮立たせているあいだ、そらまめを煎ります。

豆ちんと同じくタイマーもかけますが、まずは目視。そして触ってみます。

 

 

そうこうしている間にタレに変化が。

色も淡く、量もそこそこ多かったのが・・・

 

 

色は紅茶色に。量も少なくなり、煮立ち方がこんなに激しく!

 

最高135℃まで上がったタレ、たまに外に飛んでくるとのこと・・・。

この日、ひょうげ豆作りを見せてくれた木子(きこ)さんは入社して1年。

今はタイミングが分かって避けられるようになったそうなのですが、これまでヤケドは何度もされています。

 

 

煎ったそらまめを回転釜に移し、ひしゃくでタレをかけていきます。

まんべんなくタレが行き渡るように、5〜10分ほどの作業です。

 

 

合間をみてスコップのような物でかきまわします。

ひょうげ豆の色がどんどん濃くなっていくと同時に、しょうがの香りが立ちこめていきます〜。

 

 

実は豆ちん作りとひょうげ豆作り、ふたつ同時に行なわれていました!

必要なときは2人もしくは3人で助け合いながら、

最低限の人数で最大の効果を出して、豆芳さんのお菓子は作られているんですよ。

 

 

できあがりました。ひょうげ豆!

袋詰めされた製品はカリカリした食感ですが、できたては衣になっているショウガの部分もふにゃりとしています。

しょうがの味がしっかり出てくるのは翌日まで寝かしてからだそうで、

たしかに、できたては味がまろやかな感じ。

 

 

参加者さんもいい笑顔!

出来立てはやっぱり格別でしたね〜。

 

 

こうして出来上がったひょうげ豆。黄金色が食欲をそそります。

手作業で袋詰めをして商品の完成!

 

豆芳さんの豆菓子はサン・クラッケでもお取り扱いしていますが、豆芳さん直営店もあるんですよー!

端岡駅から高松駅まで戻り、それから兵庫町にある「ひろば店」へ行きました。

 

 

どーんと目立つ看板やちょうちんが目印。

数十年前まで作業場もここにあったそうです。

 

 

レトロで雰囲気のあるお店には、あふれんばかりの豆!

どれにするかたくさん迷ってお買い物してまいりました。

高松市の街ナカにありますので、ぜひ行ってみてくださいね〜。

豆芳さんのホームページはコチラです!

 

豆芳さん、お忙しいところ本当にありがとうございました!

みなさんとても親切にしてくださったので、わかりやすい見学会になりました。

 

豆菓子のやめられない、とまらない感はすごいなと心底思うハスイでした。

次回は欄間彫刻の小比賀彫芸さんの記事です!

 

ハスイ

 

【ラジオ】サヌキノススメ in タカマツシティリミッツ 第8回(11月25日放送分)

FM815(FM高松)で毎週火曜日に生放送されている「タカマツシティリミッツ」。

 

毎月第4週は「サヌキノススメ」コーナー。

 

第8回は11月25日に生放送。今回はたんきり飴の徳栄堂4代目、徳田さんをゲストにお迎えしてお話を伺いました。

 

今回の見学先は庵治石の村井重友石材店さんと、たんきり飴の徳栄堂さん。

 

村井重友石材店さんでは庵治石を作る工程を見せてもらう事ができました!滅多に見る事の出来ない作業場。
村井さんはAJI PROJECT職人の一人。サン・クラッケともコラボして、張子工房ウスイさんの奉公さんを石像で作って頂きました。店頭にて受注生産受付しております!!

 

徳栄堂さんは明治5年創業から、町の駄菓子屋さんとして、皆さんの日常にある必要なお菓子をと心がけていらっしゃいました。「たんきり飴」は、法然寺8代上人が風邪を引かれた時に献上し咳を止めたと言われているそうです。
懐かしい味をぜひ食べてみてくださいね!

 

放送は以下からお聞きいただけます!

(約25分のコーナーを4分割しております)

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第8回(11月25日放送分)その1

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第8回(11月25日放送分)その2

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第8回(11月25日放送分)その3

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第8回(11月25日放送分)その4

 

サヌキノススメ第6回 その5『田井民芸と張子虎について』

 

■田井民芸のはじまり

 

三豊市高瀬にある田井民芸さんは、明治元年(1868年)ごろ創業。

創業から146年ほどが経ちますが、今も正確な創業年数はわかっていません。

 

海上交通が発展した商人町の仁尾に近かったこともあり、以前は店名を「田井人形店」とし、市松人形や節句人形も作っていたそうです。

しかし時代の移り変わりとともに市松人形などの需要が減ってきたこと、

そして京都で生まれる綺麗でお洒落な人形に人気が集まり、

昭和46年に「田井民芸」と名前を変更して、張子虎と獅子頭を主に作るようになりました。

 

初代となるのが長江キクエさん。

2代目はキクエさんの兄弟にあたる惣四郎さんが継いで、

3代目は惣四郎さんの息子の清巳さんが継ぎました。

4代目は清巳さんの長女の方が継ぎ、

平成4年頃、田井家に嫁いできた艶子さんが5代目となりました。

現在は5代目の田井艶子さんと、ご近所に住んでおり、勤め始めて約28年の綾静子さんが働いています。

 

■張子虎の歴史

 

 

虎は日本に生息していない動物です(日本が大陸の一部だったころには生息していたらしく、骨が見つかっています)

日本人が虎を知るのは中国や朝鮮との交易が始まってから。

中国、朝鮮では虎は野生に生息している動物の中で最も獰猛とされ、畏怖の念を持たれると同時に、神様と崇める時代もありました。

 

日本では張子虎にまつわるこんなお話があります。

江戸末期に流行した感染症「コレラ」に効くようにと、大阪の薬屋が虎の頭の骨などを配合した丸薬を作りましたが、数がとても足りず、中国の医薬神である「神農(しんのう)」をまつっている少彦名(すくなひこな)神社に張子の虎を供えました。

それが功をそうしたのかコレラの流行はおさまり、以来、現在に至るまで張子の虎が少彦名神社に供えられています。

 

このように、香川県の伝統的工芸品に指定されている張子虎は香川県外にも産地があります。

上記の張子虎の逸話が残る大阪の「大阪張子」や、岡山の「倉敷張子」などです。

節句のお祝いに張子虎を飾る風習は全国各地にあったため、高松でも張子虎は盛んに作られていましたが、現在、香川の張子虎の伝統工芸士さんは皆、三豊市にお住まいです。

仁尾港を通じて大阪から張子虎の文化が入ってきたものが根付いたのではないかと、田井さんはお話されています。

 

■田井民芸の木型

 

 

張子虎の場合は、頭、胴体、足4本、しっぽのパーツそれぞれ別の木型があります。

いくつかの木を集めて作る寄せ木ではなく、一本の木を彫って作っています。

木の材質は特に問わず。40年から50年ほど保ちます。

かつては木型まで田井民芸さんで作っていましたが今はそうではなく、知り合いに頼んだりと様々。

欄間彫刻の伝統工芸士でもある朝倉彫刻店さんに頼んで作ってもらったこちらの木型が一番新しいものだそうです。

 

 

今は張子虎がサイズごとに15種類。獅子頭は5種類あります。

1種類につき1個しか木型がないため、量産には時間がかかります。

ちなみに張子虎には「幻の7号」が存在します。

ひとつ上のサイズとほとんど変わらない大きさだったため、今は使われていません。

もしお持ちの方はとても貴重ですので、なおさら大切になさってください。

のちの作業のために、紙を貼る前の木型に食用油を塗っています。

その影響で表面が黒くなっている木型が多いですが、焼いているわけではありません。

 

■田井民芸の張子虎の作り方

 

まずは虎の木型に紙を貼る作業です。

丈夫で厚い古紙と、柔らかい習字の紙の、特性の違う2種類を使います。

古紙は古い家屋や蔵の取り壊しで廃棄される古書を、専門の業者から買っています。明治半ばまでの紙は質が良いそうです。

習字の紙は田井民芸さん近くの習字教室からもらっています。ただ、習字の紙もナイロンが含まれている紙だと伸びが悪いため、選別しています。

これらの紙を5枚重ねあわせたものを、小麦粉と水で作った「でんぷんのり」で木型に貼っていきます。

貼る枚数や1枚のサイズは木型のサイズによって変わり、

最大サイズの120センチのものになると、新聞紙四つ切りサイズの紙を600枚も使います。

 

紙を貼ったあとは乾燥です。

冷風乾燥機の中にいれて時間を設定し、乾かします。

大きいものは乾かす時間も長くなるので、ときには外に天日干しして乾燥させます。

この乾燥機は約20年前に設備された比較的新しいもの。

乾燥機が来るまではノコクズを引いて火をつけ、火を沈めた状態の上に網を置き、コロコロと転がしながら乾かしていました。

同じ場所を火に当て続けると燃えてしまうので、目が離せないうえに長時間の作業だったそうです。

 

乾燥したら、木型から紙をはがします。

大きなものは体全体で抱え込むようにして持ち、ナイフで切り込みを入れてはずします。

木型に紙を貼る前に木型に食油を塗っていると、紙が取り外しやすくなります。

切り口は別の紙でくっつけます。

そのあとニカワで胴体と足を接着します。

ニカワは名前の通り、動物の皮や骨を煮て抽出した接着剤。固形にしたものがよく出回っています。強い接着力があり、昔から使用されてきました。

 

次は胡粉とニカワを混ぜたものを塗ります。

胡粉とは貝殻の細かく砕いた粉のことで、ニカワと混ぜることでよく紙にくっつきます。

胡粉を塗って乾かすのには、藁に刺した棒にひっかけます。

これは昔からの方法で、藁に立体的に刺せるので場所の節約になります。

 

色は日本画などでも使われる顔料を使います。

張子虎の場合、黄色を先に塗ります。そこが乾いたら縞模様を描いていきます。

湯煙(ゆえん)とよばれるニカワとろうそくのススで作った墨と、墨汁を使い、

いろいろな太さの筆を使い分けて細かく塗ります。

残りの部分も赤色の顔料などで塗っていきます。

 

そのあとヒゲをつけていきます。

張子虎のサイズによりますが、ヒゲは白く脱色した馬の毛で出来ています。

ちなみに田井民芸さんで作っている獅子頭の髪にも、馬の毛は使われています。

 

頭の部分におもりをつけて、うまく首を振るように調節します。

 

最後に首周りに布をはります。

お雛様の服にも使われるこの布は、仁尾にある陶川(すがわ)人形店さんで買い求めているそうです。

 

 

■田井民芸さんのこれから

 

昭和60年に香川県の伝統的工芸品指定制度が出来たと同時に、香川県伝統工芸品指定を受けた張子虎。

ですがそのころから今に至るまで、人々の生活はさらに変化しました。

時代に沿った商品をと心がけて、伝統の張子虎はそのままに、張子虎ストラップを作ったりと試行錯誤していますが、ご主人が別の仕事を続けているからこそ今も張子を作っていられるのだと艶子さんはお話されています。

 

香川県善通寺の出身ですが、ご主人と出会うまで張子虎の存在を知らなかった艶子さんは、22才で嫁がれてから田井民芸の仕事を少しずつ手伝いはじめます。

1から10までつきっきりで教えてくれるようなことはなく、身て覚えたものを実際に作ってみてから教えを請うやり方で学んでいったそうです。

張子虎の伝統工芸士のなかで一番若手の田井艶子さんの田井民芸にも、ほかの張子虎の伝統工芸士さんにも、後継ぎは特にいません。

今まで張子虎を学びに来た意欲のある人はいたそうですが、張子虎1つを作るにしても長い時間と手間がかかります。何か別の仕事をしながらでは、とても続けられないとのこと。とても厳しい状況です。

 

しかし、張子虎の伝承活動を積極的に行うことで張子虎の文化を残していけたらと、田井民芸さんでは毎年、地元小・中学校で張子虎の絵付けワークショップをしています。

地元イベントにも誘われたら予定がない限りは参加し、サン・クラッケでも何度かワークショップをしていただきました。

初めて張子の絵付けをするお客さんたちの質問に答えながらのおよそ2時間は、気力も体力も必要です。1つ作るのにも時間がかかる普段の張子づくりと家事の合間に、こうした地道な活動をしています。

 

これをきっかけに張子虎を初めて知った人、張子虎が香川の伝統工芸品であることを知った人はたくさんいるはずです。

次の世代に繋いでいくことが要でも、まずは広い世代に伝えていくことが必要なのではないでしょうか。

 

場所をあまり取らない小さめの張子虎も作られていますし、

お子さんがひっぱってしまってよく取れてしまうヒゲも、田井民芸さんで修理が可能です。

お子さんの節句のほか、新年のお祝いや、厄除けにも。

ひとつひとつ細かな表情が違う手作りの張子虎。ぜひ一度、実際にご覧になってみてください。

 

■参考文献

畑野栄三(平成4年、平成5年)『全国郷土玩具ガイド③、④』婦女界出版社

 

ハスイ

 

【ラジオ】サヌキノススメ in タカマツシティリミッツ 第7回(10月28日放送分)

FM815(FM高松)で毎週火曜日に生放送されている「タカマツシティリミッツ」。

 

毎月第4週は「サヌキノススメ」コーナー。

 

第7回は10月28日に生放送。今回はひょうげ豆の豆芳さんから木子さんをゲストにお迎えしてお話を伺いました。

 

まずは工芸品の欄間彫刻の見学会の様子をお伝え。小比賀彫芸さんと朝倉彫刻店さんは徒歩一分のご近所さん。特にご親類ではないそうですが、共に欄間彫刻の伝統工芸士でいらっしゃいます。見学会では工房を見せていただき、お話を聞かせていただきました。

そして、豆芳さんについては、木子さんからいろいろなお話を伺えました。豆芳さんの工場はほぼ手作業。わずか3人で作られていると聞いてびっくりです。

 

放送は以下からお聞きいただけます!

(約25分のコーナーを4分割しております)

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第7回(10月28日放送分)その1

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第7回(10月28日放送分)その2

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第7回(10月28日放送分)その3

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第7回(10月28日放送分)その4

サヌキノススメ第6回 その4『中橋造酢と仁尾の歴史について』

 

■中橋造酢のはじまり

 

仁尾には港があって海上交通が発達していたうえに、水にも恵まれた土地でした。

こうした理由から仁尾は商家が軒を連ね、狭い範囲にお寺がいくつもあることからも、豊かな町だったことがうかがえます。

当時は、酒や酢、醤油を作るのに丸亀藩の許可が必要だった時代です。

中橋造酢も丸亀藩からの許可をもらって創業しましたが、そもそもお酢作りを丸亀藩から命じられたのがきっかけなのだとか。

中橋造酢さんは香川県では初めての酢の醸造場といわれています。

屋号は田野屋です。

 

創業は1741年で、2014年現在で273年目を迎えました。

ですが、初代の中橋仁右衛門は1738年ごろ亡くなったと先祖代々の墓に刻まれていたとのこと。

創業以前は別の商いをしていたか、お酢の試作を繰り返していたのかもしれません。

 

■中橋造酢のお酢の作り方

 

 

材料となる水は湧き水。お米は白米。

水は地下から湧いていることから、水温が夏でも冬でもほぼ一定に保たれています。

中橋造酢さんで270年以上作り続けられている「仁尾酢」は、お米を原料とした米酢です。

お酢の素になる「種酢」には酢酸菌という菌が含まれています。

 

お米にこうじ菌と酵母を加えておくと、お米に含まれたデンプンがアルコール(お酒)に変化します。

アルコール度数はおよそ18度。

そのアルコールを食べるのが酢酸菌です。

食糧であるアルコールがなくなってしまうと酢酸菌は死んでしまい、杉桶の下に沈んでしまいます。

また、気温が高すぎても低すぎても菌は死んでしまうので、日々の温度管理も大切です。

温度を人肌程度に保つことが菌にとって最良の環境になります。

 

 

見学会で訪れた9月も杉樽にワラを巻くことで温度調節をしていました。

9月はまだ気温が高いので杉桶のフタを開けて中を見ることができましたが、冬になると上から下まできっちりとワラが巻かれ、フタも開け閉めしてはいけません。

 

アルコールがなくなるまでの期間は約3ヶ月。

菌が死んでしまう前に洗面器などで酢酸菌をすくいあげ、まだアルコールが残っている別の杉樽に移植します。

こうして同じ菌を繋いで現在に至っています。

 

 

最も菌が張りやすいという杉樽に入れられてお酢は作られます。

しかし、杉樽によってお酢の出来が少しずつ違ってくるそう。

その差は酢酸菌を取り除いて熟成させる期間(約1年半)の間に、別の杉樽のお酢を混ぜて調節し、味を一定に保っています。

 

 

■お酢の種類

 

お酢は原料や製造方法によって、いくつかの種類に分かれます。

白米ではなく、玄米をつかった玄米酢。小麦などの穀物をつかった穀物酢。

りんごの果汁を主な原料としたリンゴ酢など。

 

中橋造酢さんで作っている『米酢』はお米の甘みやまろやかさがあり、

他のお酢と比べてもクセが無いので色々な料理に合わせることができるそうです。

 

 

■中橋造酢のえんとつ

 

 

仁尾の漁師さんが帰り道の目印にしていたらしい、赤いレンガの煙突は現役です。

この煙突はお酢の原料になるお米を炊くときや、水を沸かすときに使う大きな釜の煙の通り道になっています。

釜の下から工場の地下にかけて煙突につながる道があり、煙突を通って外へと煙を流します。

 

1946年(昭和21年)の南海地震で高松も震度5を記録したときに3〜4メートルくずれ、

1995年(平成7年)の阪神大震災ではヒビが入ったため、ステンレスで補強がされました。

煙突が短くなった影響か、水が沸く時間など、作業に長く時間がかかるようになったそうです。

 

■現在までの中橋造酢

 

現在は11代目の中橋康一さん。10代目にあたるお父さんの仕事を学生時代から手伝っていました。

ゴルフがうまく、将来はプロゴルファーになる道も考えていましたが、

お父さんの身体の具合が悪くなったことをきっかけに若くして11代目として仕事を始めます。

今は康一さんと奥さんの登美子さん、康一さんのご両親、ときには4人のお子さんも手伝って、中橋造酢を支えています。

 

 

2011年から仁尾酢に地元・三豊産の果物を浸した『フルーツDE酢』の販売を開始しました。

『フルーツDE酢』の製品には果肉は残っていませんが、果肉を無駄にすることなく、ジャムに加工して販売しています。

 

仁尾で毎年開かれている「仁尾八朔人形まつり」の日には工場、蔵の中を開放して誰でも見学できるようにしていた中橋造酢さん。

そのときに見学するだけでなく、その場で味見ができるような果物のお酢がほしいというお客さんからの要望が6年ほど前に寄せられ、これがフルーツDE酢開発のきっかけとなりました。

 

 

柔らかい果物であれば仁尾酢が早くに浸透するため完成までの期間が短く、イチジクだと10日ほどで出来ます。

そのぶん、上に浮いてきやすく、表面が乾くとカビの原因になるので、1日に2回は混ぜないといけません。

びわは種を取り除いて、薄皮をむきます。

柑橘類は風味づけのために約1週間、皮もいっしょに浸けておきます。

果物が一番おいしい状態で仁尾酢に浸かり、おいしいお酢ができるよう、日々工夫を重ねています。

 

あくまでも地元・三豊産にこだわったフルーツDE酢の種類は季節によって異なり、商品としては今まで22種類も作られました。

パッケージは11代目の康一さんの息子さんが書いたもの。

もちろんラベル貼りまで中橋造酢さんで行われます。

 

■中橋造酢のこれから

 

何軒もあった仁尾の醸造場は、今は中橋造酢さんだけになりました。

中橋造酢さんも以前は従業員の数も多かったものの、今は家族で経営をしていますし、お酢だけではもとが取れないと11代目の康一さんは話されています。

そこで、同じ仁尾の材木屋さんからは釜に火を起こすための木材を。

知り合いの農家さんからは商品にはならない規格外の桃やキウイをもらい、フルーツDE酢の材料にしています。

需要の変化によって消費の厳しい時代に、地元の人間が協力して助け合うこと。

そして果物を使ったフルーツDE酢を開発するなど、アイデアを実行に移したうえで、果物に合わせて加工法を変える地道なものづくり。

中橋造酢さんは人と人との繋がりと仁尾酢の歴史を、これからも守っていきます。

 

(中橋造酢さんのホームページはコチラ)

 

■仁尾の歴史

 

仁尾には「仁尾城(もしくは仁保城)」というお城がありました。

いつ築城され、どんなお城だったかは定かではなく、城主は細川頼広といわれていますが、これも諸説あるようです。

長宗我部元親によって仁尾城が落城した日が陰暦3月3日だったことから、仁尾では亡くなった城主たちを偲んで3月3日にひな祭りが行われなくなりました。

そのかわり、男の子の節句の八朔の日(現在だとだいたい9月下旬)にひな人形を飾り、

ひな人形だけでなく、むかし話の一場面などの舞台を石や砂などで作り上げ、この日のためにと工夫をされた人形たちが家庭ごとに派手に飾られます。

人形を飾る家は年々減ってきているそうですが、町おこしとして1998年から始まった『仁尾八朔人形まつり』ではその風習を垣間見ることが出来ます。

 

香川県の伝統工芸品として「節句人形」も認定されており、作り手となる人形屋さんは仁尾にあります。

中橋造酢さんと同日に見学をした田井民芸さんでも作られている「張子虎」も、もとは大阪から仁尾港を経て伝わったとのこと。

この仁尾を中心として西讃の人形文化が花開いたようです。

 

次回は「田井民芸」さんと、仁尾にも関わりのある張子虎についての詳細です。

 

 

ハスイ