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サヌキノススメ第9回 その3『観音寺の白栄堂、かなくま餅福田、高瀬ふれあい産直市』

 

見学会はほぼ1日かけてのスケジュールです。

移動も多いので休憩がてら、その土地ならではのお店も参加者さんに楽しんでほしいと思い、

お昼ごはんはもちろんですが、より道を挟みつつ行っています〜。

 

というわけで!

観音寺まで来たのなら寄っておきたいこのお店!

「あいむす焼」の満久屋豊浦商店さんの見学のあとは白栄堂(はくえいどう)さんへ!

 

 

お菓子屋の白栄堂さんは明治35年(1902年)に創業しました。

より道させてもらったのは柳町本店です。満久屋豊浦商店さんからは徒歩で行けるご近所にあります。

 

こちら白栄堂さんで作られているお菓子は和菓子、洋菓子と種類豊富。

柳町本店さんにはカフェスペースもあって、季節のメニューも楽しめますよ。

以前プライベートでうかがったときはケーキを食べた記憶があります!

 

さて、観音寺にある白栄堂さんに直接行くか、ごく一部の西讃のお店でないと買えないお菓子があることを、

みなさんご存知でしょうか・・・!

 

 

それが「銘菓 観音寺」です!

ふわっとしていて優しい甘さの生地に、黄味餡という卵黄入りのあんが入って完成された一品。

 

 

自宅用とお土産用に買って帰った観音寺。

あっという間に食べてしまったためにお写真がありません・・・すみません・・・。

上の画像は白栄堂さんで撮影させていただきました。

四角い形をしているのが観音寺です。観音寺名物の寛永通宝の焼き印が入っています。

 

 

目移りするほどたくさんのお菓子に囲まれて、皆さんいろいろと購入されていました。

満久屋さんといい、白栄堂さんといい、観音寺の街ナカには美味しいものがいっぱいですね!

観光案内所でもらえる見やすいマップ片手に散策するのがオススメですよー。

 

続きまして、お昼ごはんを食べにいきました!

 

 

財田川沿いにある「かなくま餅 福田」さんです。

 

香川といえばさぬきうどん!

全国的な知名度も増え、うどん屋さん目当ての旅行者さんも珍しくなくなり、

それ以前に香川県民にとってうどんはごく当たり前のもの。

余談ですが私の母校の学食ではうどんの玉だけをもらって、自分で好みの硬さにゆでられるようになっていました。

 

しかし香川にはうどん以外にも、特色ある食文化が存在しているのです!

 

 

それが「あんもち雑煮」です!

白味噌+具材+あんこ入りの丸餅=香川の特色ありすぎるお雑煮なのです。

※県民全員があんもち雑煮文化ではありません。ご家庭によります。好き嫌いももちろんあります。

 

かなくま餅福田さんのメニューの下の方にご注目。

 

 

「アン餅うどん」!!!!

かなくま餅福田さんの名物とも呼べるのが、こちらのおうどんになります。

 

あん餅雑煮大好きな私ですが、うどんを入れる発想はありませんでした。

ですがアン餅うどん、違和感なく美味しくいただけましたよー!

あんこの甘さがおさえられていて、白だしはあっさり。

うどんといっしょに食べてもすんなりと。

 

 

実は福田さんはお餅屋さんでもあるんです。

アン餅うどんのあん餅は、膨れ具合を確認しながら奥の調理場の網で焼いていらっしゃいます。

焼きたてのあん餅は単体で食べても美味でした!

 

あん餅のほかにもおはぎが店頭に並んでいて、そちら目当てに来るお客さんや、うどんを食べたあとに買って行かれるお客さんも。

1度で2度楽しめるお店でした!

かなくま餅福田さんのホームページもぜひご覧くださいませ。

 

かなくま餅福田さんから 午後の見学先である一閑張屋さんに行く途中、立ち寄ったのはコチラ。

 

 

産 直 で す !

ご自宅のお夕飯にご家族へのお土産にと、参加者の皆様、がちんこの品定めタイムです。

 

「高瀬ふれあい産直市」さんは写真だとわかりづらいですが規模も大きく、

野菜ゾーン、お花ゾーンなどなど、商品ごとに場所がわけられています。

 

 

もう少しこじんまりとした産直には行ったことがありましたが、こんなに広い産直は初めて行きました!

お値打ちすぎる商品の数々にワイワイ言いながら回っていきます。

 

特にミカンの品揃えが素晴らしかったです。

季節は冬。こたつに欠かせないミカン。

確かに見た目はよくないですし1個1個が小さいですが、

サンタさんのプレゼント袋みたいな大きさのビニール袋いっぱいに入ったミカンが100円だったのをみつけてしまったとき、どうしようもなく興奮しました・・・!

 

 

ほかにも産直だからこそ買える商品が山ほどありましたよ。

高瀬といえば高瀬茶。高瀬茶を使ったパンやスイーツ、三豊市産のフルーツを使ったジャムや、

地元の方てづくりのお豆腐などなど。

時期によって入れ替わる商品があるのも魅力的ですね。

 

今回も食べものだらけの記事でしたが、美味しいものは美味しいので仕方ありません!

白栄堂さん、かなくま餅福田さん、高瀬ふれあい産直市さん、

おいしくて楽しいひとときをありがとうございました。

あん餅雑煮はまずあん餅からあんこを半分くらい出して白味噌のだしに沈め、最後にあんことお汁をすすって食べるのが好きなハスイでした!

 

次回はあいむす焼と満久屋豊浦商店さんの詳細記事になります。

 

ハスイ

 

サヌキノススメ第9回 その2『一閑張屋(一閑張、一貫張)』

 

お昼ごはんとより道をはさんで、丸亀市の飯山へ。

お腹も満たされ買い物でも満たされてから訪れたのは、

今回のもうひとつの見学先である「一閑張屋(いっかんばりや)」さん!

香川県の伝統的工芸品である『一閑張、一貫張』の現在唯一の伝統工芸士・宇野雄三さんをたずねました。

 

一閑張屋という名前は宇野さんが作る一閑張の商品名みたいなもの。

「民芸城山」という民芸品屋さんも営んでいて、そちらが会社名にもなっています。

 

 

手前にそびえる大きな建物。こちらが民芸城山さんなんです!

お客さまからは「大きいわねえ」と感嘆の声が。大きいですよねえ。

 

一閑張の元・工場だったこともあって敷地は広大で、しかも!こんな建物が全部で3棟もあります・・・!

建物の一部をご案内してもらいましたので後ほど〜。

 

 

出入口はこのようになっております。

石の階段を上がって、学校の体育館を思い出す大きな扉を引いた先には。

 

 

広々とした空間が!!

 

以前は坂出で「民芸城山」として独立した店舗を持っていた宇野さん。

数年前にご家族のお家を建てるために店じまいをして、一閑張などの製作をする作業場だったこの場所へと移転しました。

そのため日本全国の民芸品が集められていて、眺めるのも楽しかったですよ。

 

では「一閑張」についてご説明します。

 

 

一閑張はぜひ一度、実際に手で持ってほしい伝統工芸品です。

色からは重厚感が伝わってくると思うんですが、骨部分が竹だと持ってみると拍子抜けするほど軽いんですよ。

なにせ、もともとは竹と紙とノリだけ。

しかも紙なのに一閑張は水洗いできちゃいます。

 

宇野さんが使っている和紙は土佐(高知)の手すき和紙。

その手すき和紙と、接着、防水効果のある柿渋をふくんだノリを何度も何度も重ねていくので元が紙でも丈夫ですし、

水にも耐えられるというわけです。

ただし水に長い時間つけっぱなしはいけません。漆器と同じです。

 

 

宇野さんが作る一閑張の大きなポイントその1は

最後の作業として「泥染め」すること。

 

名前のとおり泥で染める方法ですが、こちらの詳細は企業秘密。

泥染めしているからこそ柿渋本来の色である茶色だけでなく、艷やかな黒と茶色のコントラストがあらわれているんですね。

 

 

ポイントその2は、全国にある一般的な一閑張の骨部分が竹や木の小物であるのに対して、

宇野さんはこーんな大物まで一閑張してしまうということです!

 

 

お嫁入り道具の鏡付きタンスをビフォーアフター!

 

 

じゃ〜ん。こちらが宇野さんが手をかけて生まれ変わったタンスです。

内側もふくめて全面に一閑張をほどこし、取っ手部分もリニューアル。

もともと傷んでいた所は宇野さんが修理もしました。

さらに付け足すと、取っ手部分は1から作りました!

 

 

こちらは別の棚の正面です。一閑張をほどこしています。

上のタンスもこの棚も、色がついているのは柿渋に顔料を混ぜてあるためです。

 

注目していただきたいのは金具の部分。

タンスと同じで、宇野さんが作り上げたものなのです!

 

 

宇野さんは元々は愛媛県今治市の出身で、代々続く「船鍛冶(ふなかじ)」の家に生まれました。

刀を作る刀鍛冶や、農機具を作る野鍛冶(のかじ)のように、

荒波で船がバラバラになってしまわないように木と木をつなぐ金具を作る職人さんがいたんですね。

 

戦争がきっかけで香川に疎開してきた宇野さんですが、船鍛冶の技は覚えていたそうです。

元々、物づくりや彫刻などの芸術分野が好きだったために、家具そのものを作ったり、修理するのもお手の物。

それに一閑張の技を組み合わせて、宇野さんにしか作れない「一閑張」ができあがっています。

 

 

ひと通りの説明を聞いて、商品の品定めも終わってから、

工場内を案内していただきました!ワクワクしながら探検ですよー!

 

 

工場の中は大小さまざまな器具、機械や、材料となる木材などが置かれていました。

大きな木の板を切るための部屋、一閑張をほどこす部屋、加飾をする部屋などなど、

部屋は作業目的ごとにいくつかに分かれています。

 

一閑張の竹の骨も宇野さんの手作りなので、部屋の窓側にぶら下がった竹カゴもそのようです。

この写真だけでも雰囲気ありますね。

 

 

入り組んでいる工場のなか。

方向感覚がわからなくなりながら宇野さんについていきます〜。

 

 

一から家具を作ることもできますが、生活に合わなくなって使わなくなったり、傷んでしまった家具の修理や改良もしています。

素材が紙でも木でも鉄でも、なんでもご自身で作ってしまう宇野さん。伝統工芸士さんの枠におさまらない職人さんです。

書ききれない宇野さんのプロフィールは後日の記事で!

 

 

民芸城山さんが経てきた今までの歳月や現在のものづくりへの取り組み、こだわりをたくさん覗かせていただきました。

宇野さん、お忙しいなか対応してくださってありがとうございました!

一閑張はサン・クラッケでもお取り扱い中ですので、ぜひ見て触ってくださいね。

 

ノスタルジックな工場探索が探検みたいでとても楽しかったハスイでした。

次回はお昼ごはんとより道さきについての記事になりますー。

 

ハスイ

 

サヌキノススメ第9回 その1『満久屋豊浦商店(あいむす焼)』

 

サン・クラッケで取り扱っている県産品の生産者さんを一般のお客さんと訪ねる

「サヌキノススメ見学会」!

毎月1回、サン・クラッケで取り扱っている食品、工芸品を作っている会社を見学させてもらい、

その内容をブログや動画などでアップ!

ラジオのコーナーも放送して、より香川の県産品を身近に感じてもらおう!!!

 

という4月から始まったこの企画。

2014年最後の見学会は香川の西へ。西讃にあるこちらの2軒にお願いしました!

 

 

観音寺にある満久屋豊浦商店さんは、1枚1枚手焼きする「あいむす焼」を筆頭に、

海老の旨みそのものを活かしたおせんべいが看板商品。

丸亀市の飯山町にある一閑張屋さんは名前の通り、香川県の伝統的工芸品「一閑張(一貫張)」を作っています。

 

まず午前中は満久屋(まくや)豊浦商店さんへ〜。

JR観音寺駅から歩いていくこともできますので、観音寺の町をブラブラしながら訪れるのもオススメですよ。

 

 

満久屋さんの看板になっている「あいむす焼」がこちら。(上の画像の一番左)

このあいむす焼がどんな風に作られているのか、現場を突撃です!

 

 

まずは店舗に伺いました。エビのマークが目印。

すぐ隣に駐車スペースもそなえられています。

 

 

満久屋豊浦商店さんは創業約130年。

元々は旅館を経営していましたが、おみやげ用に作った海老かまぼこが好評に。

その海老かまぼこがあいむす焼の原点になったそうですよ。

現在は6代目の豊浦孝幸さんが後を継がれています。

 

見学会当日は孝幸さんのお母さん、保江さんにご案内していただきましたー!

 

 

当日は風が冷たくて寒かったですが、晴れていたので万々歳です!

歩いて5分ほどのところにある作業場に向かいます。

 

 

年季の感じられる看板がかかった、こちらが作業場。

元・醤油蔵だそうで、その名残なのか昔の建物だからなのか、天井がたかーい。

ツバメの巣がたくさん!

 

満久屋さんは観音寺市観光協会さんがやっている「路地裏まち歩き」ツアーの立ち寄り先のひとつにもなっていますし、その他のイベントなどでも見学を受け入れているため、

あいむす焼の説明なども書かれているので万全です!

 

 

さて、作業場は建物に入ってすぐのこちらの部屋。

 

機械は必要ありません。

なぜなら材料になる海老の下準備から蒸すのまで、全て手作業!

 

 

あいむす焼を鉄のコテで挟んで蒸す作業は、

こちらの渋谷さんと6代目の孝幸さんのお二人で行っています。

 

うかがったころにはもう蒸し作業がはじまっていたので、食欲をそそるエビのいい匂いと、

耳に残るとある音が響いていました。

その音が何なのかを明かす前に、材料について説明します。

 

 

あいむす焼の材料になるのは、燧灘(ひうちなだ)でとれたジャコえび。

燧灘は瀬戸内海の中心部の海域のことです。

くわしく説明すると、香川の三豊市北部にある荘内半島から愛媛県の高縄半島の間にあたります。

 

地元で穫れたエビをパートのお母さんたちがひとつひとつ手作業でむいて、

エビから水が出るので片栗粉をまぶして。

なんと材料は、これだけ!!!

 

鉄のコテに・・・

 

 

さっとのせて・・・

 

 

パクリとはさむ!!

 

「あいむす焼」は漢字で書くと「相蒸焼」!

こうしてコテで蒸す作業が由来になっていたんです。

 

 

エビをはさむと空気や水分が圧縮されるからか「キュウウウ〜〜」と高い音がずっと鳴るんですが、

まるでエビが鳴き声をあげているようでした。

何本かのコテで同時に蒸しているとエビの鳴き声の高さがそれぞれ微妙に違っていて、

輪唱のようで面白かったです。

 

後日、見学会の動画もアップしますのでぜひ!お聞きくださいませ。

 

 

コテの持ち手の先に輪っかがついているのが見えますか?

エビをはさんですぐは輪っかに下の持ち手をひっかけて、より圧縮。

 

この台の下に火がかかっているのですが、場所によって火の当たり具合が違うので、コテの場所を順々に変えていきます。

エビをはさんで少し時間が経ったコテは画像の右側ですね。

輪っかが外してあります。

 

 

そうして1枚蒸し上がるまで、およそ1分30秒。

いただきました!

できたてのあいむす焼です!

 

大きさはもちろん、厚さと色にもこだわって作られています。

まだ熱いあいむす焼はエビの旨みがぎゅうぎゅうに詰まっていて、ちょっと柔らかい食感。

商品になったあいむす焼はパリっと割れるのですが、

やわらかかった理由は、室(むろ)にいれて乾燥させる前だったため。

 

 

作業場の中、渋谷さんの作業スペースの目の前にあるこれが室です。

室に入れて完全に水分を飛ばします。

孝幸さんのおじいさんの代にできたものだそうですが、大切に使い込まれていますね!

 

 

中はこんな感じです。下から熱が当たるようになっています。

昔は炭を使っていたのだとか。

 

 

渋谷さん、ひょいひょいと絶え間なくコテを扱っていますが、コテ、重いんですよ〜・・・。

試しに持たせてもらったところ、片手でなんとか持てる重さでした。

エビを挟んで、コテを順々にずらして、できたあいむす焼を取り出して、またエビ挟んで、コテをずらして ・・・とほとんど休みなく動けるなんて流石としか言えません。

ずっと座ったままの作業ですしね。

 

また、見学日は冬だったのでいいものの、夏の作業場は本当に暑いんだそうです。

クーラーはありましたが広域のものではなく、火も近すぎるせいで効かないとのこと。

 

 

丁寧な手仕事で作り出されるあいむす焼。創業から変わらない作り方のおせんべいは、とてもやさしい味がしました。

添加物が入っていないので地元・燧灘のエビの味がそのまま感じられるのもステキですよね。

自宅用にも、おみやげにも喜んでもらえると思います。

 

満久屋豊浦商店さん、お忙しいなか本当にありがとうございました!

お写真がなくて申し訳なかったのですが、

6代目の孝幸さんにも打ち合わせと後日のラジオ放送でたいへんお世話になりました!!ありがとうございました。

ゲストに来てくれたときの放送はコチラからお聞きください。

 

また、満久屋豊浦商店さんのホームページはコチラです。

 

すき焼きや鍋の具材としてあいむす焼をいれても美味しいと聞き、年中鍋文化の我が家で試すのが楽しみなハスイでした!

次回は一貫張屋さんの記事になります。

 

ハスイ

 

サヌキノススメ第8回 その5『徳栄堂とたんきり飴について』

 

■徳栄堂のはじまり

 

 

徳栄堂は明治5年(1872年)ごろに創業。創業から現在まで143年ほど経ちます。

今は4代目・徳田安生さんが後を継いでいます。

 

創業者は安生さんの曽祖父。

やり手の経営者として名を知られており、仏生山から栗林まで馬車を走らせるなど地域おこしにも積極的でした。

また、当時はお菓子屋というより駄菓子屋だったのだとか。

住み込みのせんべい職人さんがいて、

アルミの蓋付きの瓶にせんべい、あめ、かりんとうなどを入れて、量り売りしていたそうです。

2代目は安生さんの祖父が継ぎ、3代目は11人兄弟の5男だった安生さんの父親が継ぎました。

 

安生さんがお菓子作りを始めたのは21歳のときでした。

高校卒業後、別の仕事をしていましたが、車を買ってくれるという条件につられて修行を始めます。

最初のきっかけは車だったかもしれませんが、あれから何十年と経ち、商品開発と昔ながらの看板商品を作りつづけながら朝から晩まで休みなく働いています。

 

以前は仏生山の本町通り(お成り街道、殿様街道)に店舗がありましたが、十数年前に現在の場所に移転。

店舗と作業場が同じ建物内にあります。

 

 

■たんきり飴について

 

 

仏生山にある法然寺。

創建1668年の歴史あるお寺で、高松松平家の菩提寺でもあります。

その法然寺の8代上人(住職)が風邪を引き、痰(たん)が切れないでいたときに仏生山の飴屋さんがとある飴を作ったそうです。

当時の飴というのは、水飴と大豆の粉を主にして薬味としてショウガを利かせたもの。

それを食べた住職さんの痰が本当に切れたことが、たんきり飴の始まりでした。

以後、「たんきり飴」は特定のお菓子屋さんのお菓子というより、仏生山のお菓子として親しまれるようになります。

 

現在、仏生山でたんきり飴を作っているのは徳栄堂さんのみ。

少し前まではほかに2軒のお菓子屋さんがたんきり飴を作っていましたが、廃業してしまいました。

ちなみに、徳栄堂さんでは創業時からたんきり飴を作っています。

 

出典:徳栄堂 たんきり飴のパッケージより

 

 

■たんきり飴の作り方 〜徳栄堂編〜

 

材料は水飴、麦芽飴、大豆(香川県)、中双糖、希少糖含有シロップ、しょうが、ゴマ。

くわしい作り方や配合は企業秘密なのでおおかまかご説明します。

 

 

鍋(打出し銅器)に水飴をつくり、その中に細かく刻んだしょうがとゴマを入れて煮立たせます。

作業机にゴザ、その上に大豆の粉を広げて鍋から生地を落とします。

 

 

固まらないうちに生地を細長くのばし、球断機(きゅうだんき)に合う大きさにします。

 

 

球断機にのせた生地を上蓋で挟んで、手前から自分の体のほうへと何度も動かします。

上蓋を押し付けすぎず、素早く動かすことがコツだそう。

すると球体になった生地が大豆の粉の上に転がり出てくるので、それを平らにして食べやすい大きさにします。

 

 

最初は熱い生地もすぐに冷えて固まってしまうため、時間との勝負です。

完成したたんきり飴は割れやすいため、ひとつひとつ手作業でパッケージに詰めていきます。

1回で約1000枚のたんきり飴が完成します。

 

 

■仏生山(ぶっしょうざん)について

 

仏生山は法然寺の門前町(大きなお寺や神社を中心に形成された町)として発展してきました。

法然寺を詣でる観光客に向けて、宿場や商業、娯楽施設が集まり、その1つの例として大衆劇場も数軒あったといいます。

高松松平藩のお殿様たちが法然寺を参拝するときに通ったのが本町通り。

その別名がお成り街道、殿様街道です。

 

現在もその通りは残っており、創業200年以上のお酢とソースでおなじみの「神崎屋」さんや、江戸時代から続く呉服店の店舗をリノベーションしたサンドイッチ中心のお店「天満屋」といった町家も現存。

ほかにもカフェや、県内でも珍しい大衆劇場、掛け流しの「仏生山温泉」も注目を集めており、

懐かしさと新しさが混じった地域になっています。

 

また、毎年秋になると高松松平家の法然寺参拝を模した大名行列が本町通りを歩きます。

1995年から始まった「仏生山大名行列」は多くのお客さんを集める一大イベントです。

 

 

■徳栄堂のこれから

 

自現在の作業場と併設した店舗ではなく独立したお店を持ったうえで、自分が思う「完全なお菓子」を形にして並べることが目標の徳田さん。

昨年発売した「おまきちゃん(奉公さん)どら焼き」など新しい商品作りにも余年がありませんが、

たんきり飴をはじめとした昔から続くお菓子も地元の方に愛され続けています。

たんきり飴作りの体験は仏生山小学校のふるさと学習の一貫として毎年行っているほか、

予約をすれば徳栄堂さんで行うこともでき、地元に根ざしたお菓子「たんきり飴」の幅広い周知に一役買っています。

 

 

時間帯でパートさんを雇っているとはいえ、ご夫婦2人での作業がとても多い徳栄堂さん。

お菓子を作るだけではなく、時には商品のパッケージ入れまで自分たちで行い、各取引先への配達も行っています。

そんな多忙な毎日のなかでも新しい商品を生み出す気力には驚かされるばかりです。

徳田さんが目指す「完全なお菓子」作りへの道のりは長いかもしれませんが、

はつらつとしていてお話し好きなご夫婦が作るお菓子は、お二人の努力で着実にファンを増やしています。

今年は徳栄堂さんのどんなお菓子に出会えるのか、ワクワクしながら待ちたいと思います!

 

徳栄堂さんのたんきり飴はサン・クラッケのオンラインショップでもお買い求めいただけます。

くわしくはコチラまで

 

 

ハスイ

 

 

サヌキノススメ第8回 その4『村井重友石材店と庵治石(庵治産地石製品)について』

 

■庵治石とは

 

庵治石は高松市庵治町、牟礼町にまたがる五剣山(ごけんざん)の山麓で採れる石です。

国内で採れる石なかでも最高級とされています。

また、「庵治産地石製品」として香川県の伝統的工芸品の指定を受けています。

 

種類としては、自然石の火成岩に分類され、さらに細かく分類すると深成岩(※マグマがゆっくりと冷えることでできる)の花崗岩(かこうがん)にあたるのが庵治石です。

花崗岩は石材にすると「御影石」(みかげいし)とも呼ばれます。花崗岩が産出された兵庫県神戸市の地名「御影」が由来です。

日本では御影という名との実際に産出される地名がついた「○○御影」という石材もあります。

地域ごとの特徴はもちろんありますが、花崗岩は全国各地だけでなく世界に産地がある、岩石としては一般的なものです。

 

石はさまざまな鉱物が結晶になったもの。

花崗岩自体も固くて風化に強いとされていますが、庵治石は一般的な花崗岩よりも一つ一つの結晶が小さく、 結晶同士の結合も緻密です。

花崗岩を構成している鉱物ごとに温度などによる膨張率が違っているため、

結晶のあいだにすき間ができ、それが風化がはじまる原因になりますが、

庵治石は結晶そのものが小さく、結合が緻密なことから膨張などによる経年変化が少なく、永く美しい姿を保つことができるのです。

ノミが立ちにくいですが、そのぶん文字を彫るとよく映えます。

そして結晶が緻密なために、磨けば磨くほどに艶が出て、研磨だけで光沢があらわれます。

 

 

庵治石の特徴はその独特な色合いにもあります。

黒い斑点のような模様が浮き出て見える、 「斑(ふ)が浮く」という現象が庵治石の一部に見られます。

この黒い斑点は、 庵治石をはじめとした花崗岩一般に含まれている「黒雲母」という鉱物の集合体といわれています。

しかしこれがなぜ庵治石だけに発生したのか確固たる理由は不明という、ミステリアスな部分も庵治石にはあります。

 

■庵治石の種類

 

庵治石は採石される前から傷が多い石です。

原石の段階で目で見える部分に傷がある場合もあれば、 大きな原石から小さく石材へと切り出してからだったり、加工業者が加工を始めてから傷が見つかる場合も珍しくありません。

そのため、採石される庵治石のうち墓石にまで加工されるのは約3%。

お肉で例えると、霜降り部分が墓石です。

墓石はブロックごとに分かれるにせよ、1ブロックが大きいためになおさら取りにくくなっています。

傷がないことはもちろん、きめ細やかで滑らかな石肌であるか、色や模様が均等であるか、

石英のかたまりである白い線が入っていないか(ここから劣化しやすいため)を目で確認しながら作業が進みます。

耐久性と美しさが求められる墓石。大変高価な理由はここにあります。

 

 

庵治石はランクによる種類分けがされています。

最高級とされるのは「細目」の超特で、次いで特、並。

そして「中細目」の特、並。

「中目」の特、並。

さび石の庭石、玉石、皮石とつづきます。

墓石にできなかった庵治石は、傷の部分を削って彫刻(仏像や置き物など)に加工したり、

敷石などの建築用材、さらに細かく砕いて小石や砂利は土木関連に使われます。

無駄なく、それぞれの役割を持って庵治石は使われています。

 

■「庵治石」の由来

 

なぜ庵治町と牟礼町で採れるのに「庵治」石なのかというと、

庵治は瀬戸内海に突き出たような場所にあり、 交易の拠点となる庵治港から県外各地へ石が運ばれていました。

「庵治港から来た石」というわけで、庵治石と呼ばれるようになったというのが1つ。

また、現在のように重機がなかった時代に、

庵治の海側から石を切り出していたのも理由だそうです。

 

■庵治石の歴史

 

庵治石に関する一番古い記録は、平安時代後期(1130年代)

京都の岩清水八幡宮の宝殿などの再興に、庵治石が石材として使われたそうです。

 

本格的に採掘がはじまったのは天正時代(1573年ごろ〜)

大阪城の改修や高松城(玉藻城)の築城に使われたといわれています。

 

1814年の屋島東照宮の造営のとき、原産地での庵治石加工が本格化します。

石工の数が足りなかったため、和泉(今の大阪府)の石工職人を呼び寄せ、

仕事が終わった和泉の石工職人たちは庵治、牟礼に住み着き、石材業をはじめました。

 

記録によると、明治12年(1879年)は庵治産地の石材業者が37軒。

昭和元年(1925年)は90軒。

昭和34年(1957年)は122軒。

昭和58年(1983年)は358軒。

平成7年(1995年)は282軒。

現在も約300軒の石材業者(採石、加工含めて)が存在しています。

 

■村井重友石材店について

 

村井重友石材店さんは約50年ほど前にできた会社。

創業者の重友さんは元々は農家さんでしたが、当時、庵治石の加工や販売が盛んだったこともあってその道を志し、牟礼の坂本石芸社さんに修行へ出ます。

そして独立して創業し、今は重友さんの息子・村井一信さんが取締役です。

ちなみに村井重友さんは庵治産地石製品の伝統工芸士にも認定されています。

 

なかでも仏像彫刻を得意としており、四国88ヶ所霊場の全てに少なくとも1体は仏像、お地蔵さまを寄付しているそうです。

 

 

また、毎年夏に行われている「むれ源平石あかりロード」でも石あかり(石でできた照明器具)を製作し、来場者を楽しませています。

上の画像は庵治石のトイレを模した作品です。中に照明が仕込まれています。

 

 

■庵治石が使われている建造物

 

上の画像は男木島の男木灯台です。

国内でも珍しい石造りの灯台で、現在も利用されています。潮風にさらされて一部が酸化し、茶色になっていますが、灯台が立てられたのは1895年(明治28年)。

およそ120年ものあいだ、瀬戸内海を行き交う多くの船の道しるべになっています。

 

ほか、道後温泉本館 皇室専用「又新殿(ゆうしんでん)」の浴槽、

新首相官邸の石庭、

香川県庁の受付机、

高松城(玉藻城)の石垣などに庵治石が使われています。

 

 

■「庵治石」の商品ができるまで

 

庵治町、牟礼町にまたがる「五剣山」の丁場から採石されます。

ちなみに丁場とは職人の作業場という意味合いがあります。なかでも一番大きな丁場が「大丁場(おおちょうば)」です。

高松の屋島などからも見ることができる五剣山。

庵治石が採石できる部分の40%が目で見えていて、まだ60%は地中に埋まっているそうです。

 

採石を専門にしている業者、もしくは採石から加工まで一連して行うことができる一部の大手業者が 山から原石を切り出しています。

派手な爆破を思いかべる方もいると思いますが、

最近は騒音問題や危険性などの考慮して大きな爆発はありません。

石目(石が割れやすい方向)を見極めてキズが少ない部分を選び、それによって火薬の量を決めて発破します。

 

それからさらに「大割」「小割」と大きさを小さくしながら注文に合わせた寸法に合わせて割り、

加工場あるいは加工会社に運びます。

 

 

ダイヤモンドの粒子がついた刃で切断していきます。

水を噴射しながら刃が動いているのは、 摩擦で火がおきないようにするためと、削ったことによる細かい粉が飛び散らないようにするためです。

刃の大きさには種類があり、加工する物の大きさに合わせて使い分けます。

 

 

次に研磨していきます。

コンピューター制御された研磨機を使う場合でも、石を平坦にセットしなければ研磨にムラが出ます。

動いた分だけ損になります。

 

 

次いで、手動で研磨します。

砥石を徐々に細かいものに変えながら、石に艶をだしていきます。1面に約10分〜20分かかるそうです。

手の感触と見づらい視界のなか状態を確認しながら行う、まるで刀を研ぐような職人の技です。

こちらも水を噴射しながらの作業です。

磨いた直後はヤケドするくらい熱いのだとか。

 

 

硬く、粘りがあるといわれる庵治石。

機械も使いながら、時には昔から使われてきた道具の槌やノミを使って加工していきます。

槌(ハンマー)の重さは約2キロあり、とても重いですが、石を打った時の跳ね返りの反動を活かして繰り返し打ち付けます。

これらのどの作業にも共通しているのが、職人の目と手が必須であることです。

自然物である庵治石にはひとつとして同じ物がなく、経験が物をいいます。

時間と丹精こめて最後の加工作業にようやく至っても、

そこで初めてキズや問題が見えることもあるため、 それでも折れずに向かい合える辛抱強さも必要だと感じました。

 

■庵治石のこれから

 

庵治石から新たな可能性は見出したい。

石屋の技を磨きたい。もっとたくさんの人に庵治石を知ってもらいたい。

そんな 想いを石屋さんや地元の人達などが具現化して、庵治石は様々なイベントやプロジェクトが動いています。

 

庵治石は採石から加工、物流までを産地が担っている全国的にも貴重な石です。

だからこそ産地で切磋琢磨しながら商品化が実現できます。

 

「AJI PROJECT(アジプロジェクト)」は 牟礼庵治商工会さんも関わりあいながら、デザイナーさんと庵治牟礼の石屋さんの有志で育てられているプロジェクトです。

デザイナーさんのアイデア、もしくはプロジェクトに参加している石屋さんからのアイデアをデザイナーさんがチェックして、修正案を元に微妙な調整をしながら何度も作りなおして完成にこぎつけています。

平成21年から牟礼庵治商工会さん主導で始まり、平成24年に本格的に活動を開始。

この数年で国内だけでなく海外への販路も開拓しており、庵治石の特性を活かした商品のバリエーションも着実に増やしています。

 

AJI PROJECTのほかにも、国の伝統的工芸品にも指定されている香川漆器。その漆と庵治石をコラボレーションさせた商品の製作や、

庵治牟礼への認知度をあげて外から来てもらうための取り組みとして、庵治牟礼を舞台に石工を主人公にした実写映画の製作、

庵治石の石工を主人公にし、

実際に本物の石工さんも関わっているご当地ヒーロー「石匠庵神レムジア」の活動などが挙げられます。

 

 

レムジアは石工さんだけでなく、デザイナーさんなどのたくさんのスタッフと支援者の協力で作り上げられています。

衣装や小道具、ショーの台本、音響などすべて自分たちで行い、子どもたちに夢を与えるだけでなく、

庵治石について広く知ってもらうための大きなきっかけになっています。

画像はレムジアたちにサン・クラッケの「1日宣伝ヒーロー」として来てもらったときのものです。

 

 

「サヌキノススメ見学会」での村井重友石材店さんの見学のほか、

同時期に店頭で行った「サヌキノ工芸展」で庵治産地石製品の特集をするにあたって、たくさんの石材店さん、また庵治石に関わる方々のご協力をいただきました。

 

庵治石の業界もとても広く、業者さんや個人ごとに様々な分野がで挑戦されているのですが、

通じて思うのは皆さん庵治石を未来に繋げるために活動しているということでした。

素人ではとても気づかないだろう僅かな傷を残しておくと、10年経ってからダメになります。

庵治石そのものの品質を保つためにも、信頼して買ってくれたお客さんのためにも、妥協はしない。

しかし高い品質のぶん、実際に高価なイメージが定着している庵治石を未来に残していくためにはどうしたらいいのか。

課題は多いと思いますが、現在進行形で動いている方達がたくさんいることは大きな希望だと感じます。

庵治石や石そのものの力をこれからどんな風に見せてくれるのか、とても楽しみです。

 

 

大丁場の採石業者で作る「庵治大丁場 石の会」さんのHPはコチラ

「AJI PROJECT」さんのHPはコチラ

「石匠庵神レムジア」さんのHPはコチラです!

 

 

ハスイ