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【ラジオ】サヌキノススメ in タカマツシティリミッツ 第12回(3月24日放送分)

FM815(FM高松)で毎週火曜日に生放送されている「タカマツシティリミッツ」。

毎月第4週は「サヌキノススメ」コーナー。

 

第12回は3月24日に生放送。

今回も前回に引き続き香川漆器がテーマ。

中田漆木の中田陽平さんをゲストにお迎えしてお話を伺いました。

 

1年間続いてきた「サヌキノススメ」は今回で一旦最終回。

担当のはっしーことハスイさん、本当にお疲れさまでした!!

 

放送は以下からお聞きいただけます!

(約25分のコーナーを4分割しております)

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第12回(3月24日放送分)その1

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第12回(3月24日放送分)その2

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第12回(3月24日放送分)その3

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第12回(3月24日放送分)その4

 

サヌキノススメ第10回 その2『地濱水産(海苔)』

 

お昼ごはんを食べたあとは浜ノ町へ。

高松市中心部からちょっーと離れただけで海が広がり、漁船が並んでおります!

 

高松市中央卸市場も近いここ一帯には、「いただきさん」と呼ばれる荷台付きの自転車で魚の行商をする方たちも住んでいます。

近所の市場から仕入れた魚をすぐに販売しているから新鮮なんですね〜。

 

 

地濱水産さんの工場は海のすぐお隣。

それもそのはず。地濱水産さんは「海苔養殖」を仕事にしているんです。

香川県はなんと海苔の生産量全国5位の海苔の産地!!(平成24年度時点)

香川で生まれ育っているのにこのことを打ち合わせのときに初めて知りました。今も100軒以上の生産者さんがいるそうですよ。

 

地濱水産さんに到着すると、さっそく船のほうに案内してくれました。

 

 

黒々とした海苔がたっぷりと!

養殖網を船の上まで持ってきて、海苔をカット!そのまま船にのせて収穫するそうです。

豪快です。

 

 

地濱さんの船着き場から見える瀬戸内海。あの白い点々が地濱さんの養殖場のひとつですよ。

 

ちなみに海苔の収穫時期はちょうど12月ごろから。

見学当時は新ノリの時期にドンピシャ!

忙しさのピークのなか、地濱さん本当にありがとうございます!

 

 

船にあった海苔は足元にあるオレンジ色のパイプを通ってタンクへ。ゴミが取り除かれたり、加工しやすいように細かくされていきます。

実際に加工されるのはその翌日。獲れたて新鮮なうちに加工されます。

 

午前中のうちに準備作業は終わっていたので、午後にお邪魔した見学会では海苔の加工を見せていただきました〜。

 

では地濱水産さんのホームページの画像をお借りしながら、海苔ができるまでをカンタンにご紹介します。

 

 

地濱水産さんは昭和61年に創業。現在は2代目の地濱秀生さんが後を継いでいます。

創業者は秀生さんのお父さんで、三豊市詫間で海苔養殖をしていた叔父さんからノウハウを学び、数人の仲間と共にこの浜ノ町では初めて海苔養殖を始めた方。

今、浜ノ町にある10軒ほどある海苔生産者さんの先駆けなのです。

 

 

こちらが2代目の秀生さんです。

そして後ろに見えるのが海苔を入れておくタンクのひとつ。こうしたタンクは5つあるのだそう。

 

 

秀生さんは中学校卒業後から海苔養殖を本格的にはじめてウン十年。

正確には小学生のときから冬休みには海苔づくりを手伝っていたのだとか。

今も職人として真摯に海苔作りをされています。優しくてお話しやすい方でした!

 

 

海辺から歩いて約30秒。いざ、工場の中へ。

 

 

中に響く機械の運転音!

音の発生源は、工場の天井ギリギリまでぴったりとはまっているこの大きな機械です。

 

 

海苔の乾燥機!!

3時間半ほどをかけて乾燥された海苔が次々に流れていきます。

工程はすでに最後のほう。こうして1日に7〜8万枚の海苔が作られます。

 

 

昨日まで海の中にあった海苔がもう食べられるまでになるなんてスピーディですよね。

これは地濱水産さんだからできること。

漁協を通して別の加工会社に運んだりするとそれだけでも時間がかかり、商品として市場で販売されるまで間が空いてしまいます。

養殖、収穫、加工、販売まで一貫して行えることが地濱さんの一番の強み!

 

 

食い入るように海苔乾燥機を見つめる参加者さんとサン・クラッケスタッフ。

この海苔たち複雑な動きをしておりまして、下のレーンで左から右に流れたと思えば上のレーンに出てきたり。

こんなに大きな機械も、海苔が流れていく光景も見たことがなかったので、けっこうな時間眺めていました。

 

 

海苔たちが最終的にどこに行くかといいますと、このレーンが伸びた先に答えがあります。

 

 

海苔を待ち構えている女性スタッフさん!

 

 

最終チェックは人の目で。

海苔に付着物がないか、破れていないかなどをしっかり確認します。

 

 

そして束にされていきます。

この機械もとっても賢くて、同じ枚数の束を作ってまとめ、順々に整列させていくんです。

機械を観察するのも楽しいです。素晴らしきかな日本の技術。

 

 

新ノリ、もちろんごちそうになりましたー!

レーンに流れてきた海苔を秀生さんが取ってくださって、ストーブでちょっと温めてパクリ。

味付けナシでも塩の香りがしました!口の中で溶ける!この食感は新ノリならでは。

 

 

工場から少し離れた場所、同じ浜ノ町に直売所「海苔ギャラリーちはま」さんはあります。

工場見学のあとはこちらへ移動し、秀生さんの奥様で広報や販売などを担当している美保さんにお話をお聞きしました。

 

 

香川県には海苔養殖業者さんがおよそ100軒あって、浜ノ町以外だと小豆島や志度、丸亀などでも養殖されています。

香川県だけでも海苔の生産量は年々落ちており、2000年には9億7900万あった生産量は、

去年で3億5500万までに減りました。

 

通常なら12月中旬から3月ごろまで続く海苔の収穫が、海苔の色落ちが1月に始まって早々に収穫が終わってしまうことがここ十数年で起きています。

さらに海苔の消費量が減ったことも生産量低下の原因です。

 

 

まずは香川県に住む人に香川は海苔生産量全国5位だと知ってもらい、地産地消をうながすことから!

いい海苔を作るのはもちろんとして、

美保さんは商品説明の紙を用意したりイベントで広報をして認知度向上に努めています。

 

海苔ギャラリーちはまさんではおみやげ用にパック新海苔や、ビニール袋にどっさり入った生海苔をお買い上げ。

実際に船に積まれた海苔や工場を見て、美保さんたちのお話を聞くとこの時期にしか食べられない新ノリをすごく食べたくなったんです。

うどんだけじゃない香川県!

瀬戸内海で育まれた栄養たっぷりの海苔をぜひご賞味あれ!

 

地濱水産さん、1年で最も忙しいであろう時期に見学させてくださったうえ、ラジオにも出演して下さり、本当にありがとうございました。

地濱水産さんのホームページはコチラ

地濱美保さんにゲストに来ていただいた時の音源はコチラからお聴きくださいませ!

 

ちょっと時間が経った海苔はお湯で戻して佃煮にして食べるという方法が目からウロコだったハスイでした。

自宅用に買った新ノリはぱりぱりぱりぱり、すぐに完食したので佃煮は今度試してみます〜!

 

まだまだ語りきれない海苔や地濱水産さんについては、後日の詳細ブログの更新をお待ちください。

次回はお昼ごはんとより道先についての記事になります。

 

ハスイ

 

サヌキノススメ第10回 その1『讃岐かがり手まり(讃岐かがり手まり保存会)』

 

サン・クラッケで取り扱っている県産品の生産者さんを一般のお客さんと訪ねる

「サヌキノススメ見学会」!

毎月1回、サン・クラッケで取り扱っている食品、工芸品を作っている会社を見学させてもらい、

その内容をブログや動画などでアップ!

ラジオのコーナーも放送して、より香川の県産品を身近に感じてもらおう!!!

 

という2014年4月から始まったこの企画もついに2015年へ年またぎ!

キリがいい10回目にして、1月の見学先は高松市中心部のコチラ。

 

 

午前中は兵庫町にある「讃岐かがり手まり保存会」さんへ〜。

「讃岐かがり手まり保存会」さんは名前の通り、讃岐かがり手まりを作っています。

 

 

香川県の伝統的工芸品「讃岐かがり手まり」は、

もみがらを薄紙でくるんで芯を作り、草木染めをした木綿の糸で幾何学模様を「かがって」いく工芸品です。

糸を芯に刺して、糸をすくいながら縫うのですが、それを「かがる」と表現するんだとか。

模様と色の組み合わせで手まりの種類は無限に広がります。

 

見学先の保存会さんは、兵庫町商店街アーケード沿いの道を外れて細い路地に入ったところにあります。

まるで隠れ家のような場所に・・・。

 

 

本当にここなの?と参加者さんはおっしゃっていましたが、

 

 

本当にココですとも!銅の看板が目印です。

ちなみに保存会さん、片原町には2014年の8月にお引っ越しされてきました。

 

 

中は白を基調にしたオシャレな雰囲気。

家具やら小物やらすべてがかわいくて、打ち合わせの時に初めておじゃましたときはテンションあがりました!

 

 

この画像はクリスマス前に打ち合わせのときに撮影させていただいたものです。

小物との組み合わせを考えるのも楽しそうですね。

 

『好きなモノをそばに置いて生活すると気持ちが豊かになる』とは

讃岐かがり手まり保存会代表にして、讃岐かがり手まりの伝統工芸士さんである荒木永子さんのことば。

自分好みの素敵なものに囲まれていると、何事もモチベーションが上がりますよね〜。

 

 

お忙しいなか、保存会の代表で讃岐かがり手まり伝統工芸士の荒木永子さん(写真右)や保存会メンバーの明石さん(写真右)のほか、

保存会のつくり手のみなさんで対応してくださいました。

 

 

桜茶までご用意してくださって、お心遣いとてもうれしかったです!ありがとうございました。

1月の寒い時期だったので心も身体もあったかーくなりました。

 

 

春を感じる桜茶をいただきながら、

まずは保存会さんや讃岐かがり手まりの工程についてのお話や、質疑応答タイム。

讃岐かがり手まりを調査して保存会を設立した永子さんの義理のお父さん、お母さんのお話等々もお聞きしました。

くわしくは後日の詳細ブログにまとめますのでお待ちくださいませ。

 

さて。保存会さんで行っている作業は、なんと讃岐かがり手まりに使われる木綿糸を草木染めするところから。

棚には色味がそれぞれに違う木綿糸が並んでいます。

ケースごとに別の色が入っていて、その数およそ120!

 

 

鮮やかに発色しているこの木綿糸も草木染めなのです。

今回は木綿糸を草木染めする作業から見せていただきました!

 

木綿糸は天然の染料だけだと染まりにくいため、まずは大豆の煮汁につけて下準備。

大豆の煮汁である呉汁(ごじる)にふくまれているタンパク質で染料を定着させやすくするそうです。

 

そのあとは媒染(ばいせん) という、さらに天然染料をはっきりと発色させるための作業へ。

 

 

鉄の棒に木綿糸を引っかけて、

媒染の液に浸して、しばらくしたら出して、染料の液に浸して、出して、触媒の液に浸して、を何度か繰り返します。

使っているナベと言い、まるでカラフルなおそうめんを茹でているみたいですね〜。

 

 

鉄の棒さばきが決まっていたのが、染色作業を主に行っている藤本さん。

染料の材料になる植物の種類や分量を変えて様々な色を作るのですが、そのレシピ作りは明石さんがされているそうです。

どうしても染まりにくい色や植物もあるとお聞きしました。

120色ものバリエーションを揃えることは簡単なことではなかったと思います。

 

 

染めたあとの糸は2階のベランダで干します。見学のときにあらかじめ乾かされていたのがこちらの糸。

見た目は普通のお家のベランダにこうして木綿糸を干してあると不思議な感じがしますね〜。

 

 

保存会メンバーの方達が手まりをかがる作業も見学させてもらいましたよ!

 

と、その前に手まりは何で出来ているのかご存知ですか?

もちろん木綿糸は欠かせませんが、手まりの中身が何なのか・・・。

 

 

ずばり、もみ殻です!

 

 

薄い紙でもみ殻をまあるく包んで、

 

 

紙が完全に見えなくなるまで木綿糸でぐるぐる巻きに。

 

つくり手さんはササッと作っていましたが、確かな技術が必要なすごいことだと思うんです。

まず私がやると形が崩れて歪になりますね!

 

 

出来上がっていた別の芯に針を通させてもらいました。

針で刺すとサクッともみ殻の音がするんですが、その感触と音が気持ちいい!

力はほとんど必要なく、スーッと芯まりの中に吸い込まれていく感覚です。

 

 

土台となる芯を作ったあとは、いよいよ模様をかがっていきます。

まち針を刺して基準となる点を作り、手まりを均等に分割するように糸を渡してやります。

 

 

模様ごとに一定の規則に沿ってかがっていくことで、美しい模様や可愛い模様が生まれていきます。

 

 

ひと針ひと針、時間をかけてかがっていく作業は地道です。

それだけ1つの手まりにじっくり向き合うので、作り手さんの愛情もより一層深くなるそうです。

 

 

木綿糸の色や模様の組み合わせで無限の可能性がある讃岐かがり手まり。

これだ!とビビッとくる手まりとは一期一会かもしれません。いえ、本当に!

 

大きな手まり、手のひらサイズの手まりのほか、

実用的な商品として芯のもみ殻の中に天然の香木も入れた「にほひ手まり」や、身につけられる「手まりストラップ」といった商品も製作しています。

お気に入りの手まりをみつけて、ぜひ生活に彩りをそえてください。

 

 

讃岐かがり手まり保存会のみなさん、ご多忙のなかお時間を作ってくださって本当にありがとうございました!

作業もひと通り見せていただけてわかりやすかったです。

 

見学会では手まり作り体験はしませんでしたが、保存会さんではリビング高松カルチャーセンターさん等で教室を開いていますよ。

見るだけ買うだけじゃなく、作ってみたい方は多いはず!

コチラの讃岐かがり手まり保存会さんのホームページを要チェックです。

 

絶対になくしたくないカギといっしょに、絶対になくしたくない手まりストラップを付けて二重の効果をもたせているハスイでした。扱いがすごく慎重になりますよ!

次回は地濱水産さんのブログになります。

 

ハスイ

 

サヌキノススメ第9回 その5『民芸城山と一閑張(一貫張)について』

 

■民芸城山(しろやま)と宇野雄三さんについて

 

 

宇野雄三さんは愛媛県宇和島市出身。代々続く船鍛冶の家に生まれました。

「船鍛冶(ふなかじ)」とは船金具を専門に作る鍛冶師のことです。

「船金具」は荒波にあっても船を構成する木と木がバラバラにならないようにするための、頑丈な金具。

しかし家業を継ぐ前、子供のころに戦争で疎開して香川県へ。

物を作ることが好きだったこともあって、慣れない土地での大変さをぶつけるように主に彫刻の作品作りに身を注ぎました。

転機となったのは宇野さんが20歳のころ。「和田邦坊(わだくにぼう)」さんとの出会いでした。

 

 

和田邦坊さんは「ひょうげ豆」(見学会に行ったときのブログはコチラです)や「名物かまど」などの包み紙のデザインのほか、

お金持ちがお札に火をつけて灯りにする風刺画でご存知の方が多いと思います。

和田さんに作品を見せた宇野さんは「面白い」との評価をもらい、当時の香川県知事である金子正則さんを紹介されました。

金子知事は芸術分野に深い関心を持ち、芸術家と交流するだけでなく、実際に香川県庁舎をはじめとした数々の建築物を芸術家たちと共に作り上げてきた方です。

作品を並べたりするのが好きで、宇野さんが開いた個展で作品のディスプレイしたこともあるそうです。

そんな金子知事との繋がりによって讃岐民芸館の作品、品物集めに宇野さんも携わりました。

讃岐民芸館は栗林公園内に昭和40年(1965年)設立されました。

 

昭和43年(1968年)に宇野さんは株式会社「民芸城山」を創業。

讃岐民芸館設立の際に築いた交友関係と情報をもとに、全国各地の民芸品を販売しつつ、一閑張や船金具などの製作を行いました。

 

宇野さんが発案者となり、実際に全国のひな人形等も集めた催事「女のまつり」は、会場となっていた栗林公園内の商工奨励館の改修前まで開催。

 

 

また、大阪の百貨店でも2004年まで17年連続して作品展を開いていました。

タンスなどの大物家具や金具も手作りしたものです。

民芸城山には社員さんや下請けの会社もあり、海外への販売をするなど販路も開拓していましたが、時代の流れもあって現在は宇野さんお一人で製作をされています。

 

■一閑張(一貫張)とは

 

 

一閑張に必要なのは、骨部分となる竹や木、和紙、柿渋と、どれも身近で手に入るものばかり。

昔の人は細工のしやすい竹などで骨を作り、和紙はお寺や庄屋さんから不要になった紙をもらって、柿渋の材料である渋柿は山や庭に植わっているものを使いました。

もし破れても直してまた使うことができる一閑張は、生活に身近な食器やカゴなどの生活道具として。また、補修技術としても使われていたそうです。

物が現代のように流通していなかった時代は、生活道具を買う機会は限られたものでした。

もし必要な生活道具が壊れてしまったとき、自分たちでも修繕できて、かつ丈夫な物をと作られたのが一閑張だとされています。

 

昔は当たり前のものだったため、全国各地それぞれの一閑張がありました。

一閑張という名前の由来にも諸説あり、農家さんが閑散期の閑(ひま)を見て作ったという説や、

自分たちで最初から最後まで一貫して作れることから由来したという説、

中国(明)から一閑張の技術を持って日本に来た人物・飛来一閑(ひらいいっかん)さんから名を取ったという説などがあります。

さらに作り方も大きく2つに分かれていて、

木や竹の骨に和紙を貼り重ね、漆を塗る方法と、

木や竹の骨に和紙を貼り重ね、柿渋を塗る方法があります。

この記事では一閑張の伝統工芸士・宇野雄三さんが作る一閑張についてご説明します。

 

■一閑張屋・宇野さん一閑張の作り方

 

骨の素材になるのは、竹や木、ガラスの空き瓶など多岐にわたり、

竹のお皿や籠、木の敷台(ディスプレイ台)や文箱、修繕した家具、牛乳瓶や今はもう販売されていないウイスキーボトルにも一閑張を施せます。

 

柿渋は山に生えている渋柿を使います。

渋柿をつぶして発酵させ、そうすると出てくる汁が柿渋です。

残った渋柿のカス部分は畑の肥料にしています。

 

柿渋にワラビの根と同じ成分の糊(のり)を混ぜ、渋糊を作ります。

ネズミがかじりに来ない成分を含むワラビの根を入れるのは、昔の人の知恵だそうです。

 

骨に渋糊を塗り、和紙を貼っていきます。

和紙は高知県いの町のもの、もしくは鳥取県青谷のものを使っています。

どちらも和紙の産地として有名です。

和紙には縦、横と繊維の向きがあります。

骨に貼るときにこの向きを間違えると、骨が竹や木の場合、反ってきてしまうので注意が必要です。

 

骨を用意する→渋糊を塗る→和紙を貼る→乾燥→渋糊を塗る→和紙を貼る→乾燥・・・

 

これを何度もくり返します。

ひとつの一閑張を作るのに、少なくとも10枚以上、多くて100枚もの和紙を使用します。

 

最後に「泥染め」という方法で仕上げます。

多くの一閑張の商品が柿渋の色である赤茶っぽい色をしているのに対し、宇野さんはこの泥染めをすることで濃淡を出し、

商品に豊かな表情を生んでいます。

 

 

泥染めの詳細については企業秘密ですが、名前の通り、泥を使った染色の方法です。

 

■一閑張のいいところ

 

骨が何かにもよりますが、竹や木の場合、見た目の重厚感とは違ってとても軽くできています。

それに何枚もの和紙と柿渋を塗り重ねているために丈夫で、柿渋には防水効果があるので水洗いもできます。

 

注意して欲しいのは、

紫外線に長時間当てないこと、水に浸かりっぱなしにしないこと、洗ったり濡れたりしたら乾いた布でふきとってもらうことです。

漆器の取り扱いとよく似ており、一閑張も漆器と同じように使い込んでいくうちに味が出てきます。

摩耗してきてもオリーブオイルをなじませた布で一閑張を拭くと、いい色合いになるのだとか。

泥染めの効果で色の出具合、濃淡がひとつひとつ違っていることも、愛着がわくひとつの要因になると思います。

 

■民芸城山、一閑張屋のこれから

 

 

日常生活の変化で一閑張の需要は少なくなり、生活が保証できない環境であるために宇野さんには後継者がいない状態です。

今まで技術と工夫を積み重ねてきたものがいつか無くなってしまうかもしれないことは本当に残念です。

ですが、宇野さんの一閑張は宇野さんにしか作れないものだとも思います。

船鍛冶の家で生まれたこと、疎開してきた香川での芸術活動を通しての人と出会い、一閑張の製作に至るまで、

全てが意味を持って宇野さんの一閑張を作り上げているからです。

 

一閑張屋の工場見学で広い敷地内にたくさんの資材、道具が集められているのを見て圧倒されました。

それぞれの商品で表情が違うので、ぜひ一度手にとって、

愛情と時間と技がこもった宇野さんの一閑張と出会ってほしいと願っています。

 

ハスイ

 

サヌキノススメ第9回 その4『満久屋豊浦商店とあいむす焼について』

 

■満久屋豊浦商店について

 

 

創業は明治10年(1877年)ごろ。創業から138年ほど経ちます。

元は旅館を営んでいましたが、お土産用にと作ったエビかまぼこが好評に。

それが満久屋豊浦商店さんの看板商品、エビを蒸し焼きして作るえびせんべい「あいむす焼」のはじまりになりました。

大正天皇に奉納されたほか、諸国の物産を集めている明治神宮にも毎年奉納されている歴史あるお菓子です。

現在は豊浦孝幸さんが6代目。ご自身もあいむす焼などを作っています。

 

旅館を営む前、豊浦さんのご先祖さまは観音寺・九十九山にあったといわれる江甫草山城(つくもやまじょう)の家老だったそうです。

しかし天正7年(1579年)ごろ、長宗我部元親の四国侵攻のおりに江甫草山城は落城。

城主の子どもを陣幕にくるんで逃げ延びたのですが、そのエピソードが 「満久屋(まくや)」の由来だとか。

 

■あいむす焼について

 

材料は燧灘(ひうちなだ)でとれるジャコエビと、エビの水分が出てくるのをふせぐための片栗粉(でんぷん)のみ。

 

燧灘とは香川県の荘内(しょうない)半島と愛媛県高縄半島の間の、四国側の海域のことです。

いりこ漁でも有名な燧灘にある伊吹島(観音寺市)周辺でとれるジャコエビを使用しています。

 

 

仕入れたエビは午前中のうちにパートのお母さんたちが手作業で皮をむくなど、下ごしらえをします。

エビの水分があとから出てしまわないように片栗粉をつけておきます。

 

蒸す作業を現在行っているのは、6代目の孝幸さんと、勤め始めて3,4年になる渋谷さんのお二人です。

蒸し始めに1度だけ、鉄のコテに油を塗ります。

 

 

さっと手づかみで適量を取ってコテに挟み、火の当たり加減を考慮してコテの場所を変えながら、約1分30秒で1枚が蒸し焼きになります。

多い時で1日に1200枚作ります。

 

 

また、蒸し焼き時間は季節と天候によって左右されるので、職人さんの見極めが大事になってきます。

コテは持ち手が長く、鉄でできているので1本でも重量があります。

 

蒸し始めはコテの先にある留め具に持ち手をひっかけて、より圧縮して水分を飛ばします。

ある程度できあがってくると留め具を外します。

 

 

完成したあいむす焼をざるに入れるとすぐに次のエビを挟み、それを何度も繰り返します。

この時点で食べたあいむす焼は柔らかい感触が。

時間が経つと空気中の水分を吸って湿気てしまうため、水分を完全に飛ばすために室(むろ)に入れて乾燥させます。

孝幸さんのおじいさんの代からあったというこの室ですが、以前は炭を使っていたそうです。

できあがったあいむす焼の袋詰め、箱詰めも、もちろん手作業になります。

 

 

こうして完成する無添加のお菓子「あいむす焼」。

コテでエビを蒸し焼きすることが名前の由来になっています。

 

 

袋詰のもの、缶入りのもの、別のエビのお菓子との小袋詰め合わせのものと、用途に合わせて種類があります。

 

■奉納されるあいむす焼き

 

あいむす焼は大正天皇にも奉納されています。禊(みそぎ)をし、白装束で作ったそうです。

また、全国の物産のひとつとして毎年、明治神宮にも奉納されています。

 

■いそ巻きと姿焼き

 

 

満久屋豊浦商店さんには「いそ巻き」「姿焼き」など、あいむす焼とは違う作り方のエビのおせんべいも作られています。

おおまかに説明しますと、

「いそ巻」はエビや北海道産の馬鈴薯などでおせんべいの生地を作り、鉄のコテで焼きます。

それを丸めて北海道産の昆布で巻き、細かく切って完成です。

「姿焼き」はエビの頭を取ってそのままコテでプレス。皮ごとパリパリ食べられます。

 

どちらも少なくとも20年以上前から作られている、満久屋豊浦商店さんならではのお菓子です。

 

■満久屋豊浦商店の想い

 

燧灘が近い観音寺の風土ならではのお菓子「あいむす焼」を同じ味、製法で残し、歴史をこれからも重ねていくことは6代目である豊浦孝幸さんの1つの展望ですが、

それと同時に観音寺の街、お店、人を元気にしていく取り組みにも力を注いでいます。

 

孝幸さんが子どものころ、満久屋豊浦商店の前の道には毎週土曜日にたくさんの露天が並び、愛媛県からも人が来るほど賑わっていたそうです。

ですが他の地域もそうであるように、現在は当時の賑わいから遠くなっています。

そこで孝幸さんは観音寺市の活性化のために、観音寺市を街歩きしながらお店をめぐる企画や、

商店の中に別の店を誘致して期間限定で営業してもらい、それぞれのお店を目的訪れるお客さんをもう片方のお店へ誘致する「観音寺ship in shop」プロジェクトなど、周囲の人々と協力しながら多くのイベントに関わっています。

 

店を受け継いでいくことはお店を守ること。店は街がなければ始まりません。

孝幸さんたちの企画が観音寺の街が新たな一面を創っていくのを、これからも見つめたいと思います。

 

満久屋豊浦商店さんのホームページはコチラです。

 

ハスイ