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サヌキノススメ第10回 その4『讃岐かがり手まりと保存会について』

 

■手まりについて

 

古くは平安時代からあった「まり」。

宮中やお城のお姫様といった身分の高い方のための玩具でしたが、江戸時代に庶民に普及しはじめました。

家庭に広まった遊び道具としての手まりは、手に入れられる材料でお母さんやおばあさんが娘、孫のために作ったもの。

全国的に存在していた手まりですが、手まりの芯にそば殻を使ったり、ぜんまい殻を使ったりと、地域の環境ごとの特色があらわれています。

 

「讃岐かがり手まり」の大元になったのは、西讃(香川の西側)地域の手まりです。

江戸時代に讃岐国(現在の香川県)で多く作られていた「讃岐三白(さぬきさんぱく)」と呼ばれる3つの特産品ありました。

3つの白いもの。砂糖、塩、そして綿です。

西讃の三豊市豊浜はかつて「綿の町」と言われるほど綿栽培が盛んで、その土地柄から木綿糸を使った手まりを作っていました。

しかし、当時の手まりについての記録はほとんど残っていません。

手まりは生活にごく身近な遊び道具として、作り方や模様などは家族間で口伝で伝わってきたためです。

明治時代に入り、ゴムまりの普及によって衰退した木綿糸の手まりはそのまま途絶えるのかと思われました。

 

昭和40年(1965年)に開館した讃岐民芸館。

その設立に関わっていたのが荒木計雄(かずお)さんです。

計雄さんは『日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する』という目的の民藝活動にも熱心で、焼物や漆などを含めた工芸品、民芸品全般を調べていましたが、

地元である西讃に存在していた木綿の手まりのことを知り、その調査と研究にのりだします。

このことが「讃岐かがり手まり」とその作り手である「讃岐かがり手まり保存会」さんの始まりでした。

 

■讃岐かがり手まりについて

 

計雄さんが調査をはじめたころにはすでに手まりを作れる人はいなかったそうです。

記録も残っていないため、人づてに家庭を訪ねたり、民藝運動から繋がった縁で「かがり技法」を学びました。

作り手をつとめたのは計雄さんの奥さんである荒木八重子さん。

愛媛県出身だった八重子さんの地元でも手まりづくりは盛んで、その作り方を子どものころにお母さんから教わっていました。

お2人の試行錯誤とそれを支えてきた方たちの協力で作り上げられた手まりは、

昭和52年(1977年)に「讃岐かがり手まり」と命名され、

10年後の昭和62年(1987年)には香川県の伝統的工芸品の指定を受けます。

その1人目の伝統工芸士には八重子さんが認定されました。

 

■讃岐かがり手まり保存会について

 

「讃岐かがり手まり」と命名されて6年後の昭和58年(1983年)、

計雄さんと八重子さんは観音寺市に「讃岐かがり手まり保存会」さんを立ち上げました。

讃岐かがり手まりが香川県の伝統的工芸品に指定されるとともに、当時から今に至るまで唯一の指定製造団体の認定も受けています。

現在は計雄さん、八重子さんご夫婦の息子さんのもとに嫁いできた荒木永子さんが今の保存会の代表です。

 

 

保存会の目的は名前の通り、讃岐かがり手まりを未来に保存していくこと。

讃岐かがり手まりを製作して販売をし、持ち主のもとで保存されることで残っていければと考えています。

ですが、単なるお土産ものとしてではなく、魅せ方をもっと考えることで讃岐かがり手まりを楽しく、そして面白く感じてもらえるのではないかと、永子さんたちはただ置いて飾るだけではない新たな価値を生み出しました。

 

たとえば15年ほど前に商品化したストラップ付きのとても小ぶりな手まりは、持ち物につけてそばに置いておくことが出来ます。

手まりの芯のなかに天然香料を入れることで香りをつけた「にほひ手まり」は、玄関先などに置いておくのもいいですし、桐箱から出してバラにしてから洋服タンスなどに転がしておくと、香りも付き、見た目にも楽しめます。

 

1つ1つ全てが手作業で作られる手まりの製作には時間がどうしてもかかります。

かかる時間の分、作り手さんを育成することで多くのお客さんからの需要に答え、讃岐かがり手まりを広めていくために、およそ4年前に作り手さんを募りました。

毎月ひとつの柄を課題にするなどの指導を始め、今では柄を新たに創作することも。

現在は約100人の作り手さんがおり、そのうちの数十名の作り手さんがかがった手まりが保存会運営スタッフさんの検品を通ったうえで商品として送り出されています。

 

■讃岐かがり手まりの作り方 〜草木染めの木綿糸〜

 

木綿糸は東京のお店から仕入れていますが、草木染めは保存会さんで行います。

ちなみに、以前は倉敷にあった木綿屋さんで買い求めていました。

 

 

木綿糸は柔らかさがあって触り心地がいいのですが、天然の着色料が定着しにくいという性質があるため、染める前の下準備として

大豆の煮汁(呉汁)に木綿糸を浸けて乾かします。

大豆に含まれるタンパク質が天然着色料を定着しやすくさせる効果があるためです。

上の画像の左が呉汁に浸ける前の木綿糸。右が呉汁を浸けたあとの木綿糸です。

 


それから色素をより鮮やかに見せ、色落ちしにくくさせる天然の媒染液に浸け、そのあと材料を煮だした草木染めします。

これを3セット繰り返して染めていきます。

同じ染料を使用して濃淡を分け、同時に3色の染色を行います。

 

 

染めた木綿糸は、色落ちのする紅花系の色以外は日差しで干します。

このとき糸をまんべんなく広げてさばき、乾きやすくします。

乾かす時間は季節や天候によって異なります。

 

草木染めの材料は手に入る身近な植物であれば保存会さんが採りにいきます。

自然物ならなんでも材料になるので、虫を使ったり、いろいろな植物で試作することも。

ですが植物はものによって退色の度合いや色落ちしやすいか、しにくいかが違ってきます。

正倉院に残っている染め物の材料であれば退色しにくく長持ちするのは間違いないため、参考にされています。

 

■讃岐かがり手まりの作り方 〜手まりの芯、かがり〜

 

手まりの芯作りは、薄紙でもみ殻を包むところから。もみ殻とはお米の皮のことです。

 

 

手まりのサイズによってもみ殻の量を変えて、薄紙でまるく包みます。

それを木綿糸を紙が見えなくなるまでぐるぐる巻きにします。

この木綿糸の色は作る手まりの色柄によって様々です。

 

土台になる芯まりができたら、模様をつくるための目印となる「柱」を立てます。

そして柱から柱へ糸をかがっていきます。

「かがる」とは糸をすくいあげながら縫うことを表しており、針を芯に刺して貫通させ、これを糸の色を変えながら繰り返し繰り返し行います。

糸の太さは糸を1本取りにしたり、2本取りにしたりと、どんな模様、雰囲気に仕上げたいかで変えます。

1本取りの糸で完成した手まりは繊細な雰囲気になり、2本取りの糸の手まりは模様が際立ちます。

玉結びは芯のもみ殻に刺して隠し、どこが糸の起点だったのか全く分からない美しい仕上がりです。

 

完成した讃岐かがり手まりには名前がつけられていますが、名前で技法と模様をあらわしているものも。

「桜交差」という手まりならば、桜の模様の、交差の技法で作られているということです。

模様や全体のイメージで名付けられているものもあり、それは新しく創作した模様の手まりであることが多いようです。

 

■讃岐かがり手まり保存会のこれから

 

 

手まりは子どもの遊び道具でした。

玩具とはいえ、家族や自分で作った唯一無二の模様、色の手まりは、かけがえの無いものだったのではないかと思います。

ですが、糸の手まりからゴムのまりへ、そして子どもたちの遊びの内容も変化していったように、時代とともに手まりの形も移り変わり、忘れられていきました。

それは悲しいことかもしれませんが、その時代にしか作れないものがあると荒木永子さんはお話されています。

 

約15年前に商品化されたストラップサイズの手まりも、香りつきの手まりも、昔にはなかったもの。

それらの大元になった普通のサイズの手まりを手にとってもらうための入り口に、という願いもこめられて作られました。

昔から続いてきたものの途絶えていた讃岐の手まりを荒木計雄さん、八重子さんたちが調査を重ねて形にし、材料や作り方を伝承しながら新たな形を永子さんたちは生み出してきました。

何もないところから全てを生み出していくという基本は変えず、今の時代をいきる作り手さんたちの想像と技によって、讃岐かがり手まりは昔にはなかった新たな広がりをみせています。

こうしていつか次にバトンタッチ できるように基板を作りながら、讃岐かがり手まり保存会さんはこれからも活動を続けていきます。

過去、現在、未来まで見すえながら物づくりをしていく皆さんの姿勢には大きなパワーを感じました。

ひとつの工芸品にもたくさんの可能性が秘められているのだということに、勇気づけられる思いです。

 

 

ハスイ