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サヌキノススメ第9回 その5『民芸城山と一閑張(一貫張)について』

 

■民芸城山(しろやま)と宇野雄三さんについて

 

 

宇野雄三さんは愛媛県宇和島市出身。代々続く船鍛冶の家に生まれました。

「船鍛冶(ふなかじ)」とは船金具を専門に作る鍛冶師のことです。

「船金具」は荒波にあっても船を構成する木と木がバラバラにならないようにするための、頑丈な金具。

しかし家業を継ぐ前、子供のころに戦争で疎開して香川県へ。

物を作ることが好きだったこともあって、慣れない土地での大変さをぶつけるように主に彫刻の作品作りに身を注ぎました。

転機となったのは宇野さんが20歳のころ。「和田邦坊(わだくにぼう)」さんとの出会いでした。

 

 

和田邦坊さんは「ひょうげ豆」(見学会に行ったときのブログはコチラです)や「名物かまど」などの包み紙のデザインのほか、

お金持ちがお札に火をつけて灯りにする風刺画でご存知の方が多いと思います。

和田さんに作品を見せた宇野さんは「面白い」との評価をもらい、当時の香川県知事である金子正則さんを紹介されました。

金子知事は芸術分野に深い関心を持ち、芸術家と交流するだけでなく、実際に香川県庁舎をはじめとした数々の建築物を芸術家たちと共に作り上げてきた方です。

作品を並べたりするのが好きで、宇野さんが開いた個展で作品のディスプレイしたこともあるそうです。

そんな金子知事との繋がりによって讃岐民芸館の作品、品物集めに宇野さんも携わりました。

讃岐民芸館は栗林公園内に昭和40年(1965年)設立されました。

 

昭和43年(1968年)に宇野さんは株式会社「民芸城山」を創業。

讃岐民芸館設立の際に築いた交友関係と情報をもとに、全国各地の民芸品を販売しつつ、一閑張や船金具などの製作を行いました。

 

宇野さんが発案者となり、実際に全国のひな人形等も集めた催事「女のまつり」は、会場となっていた栗林公園内の商工奨励館の改修前まで開催。

 

 

また、大阪の百貨店でも2004年まで17年連続して作品展を開いていました。

タンスなどの大物家具や金具も手作りしたものです。

民芸城山には社員さんや下請けの会社もあり、海外への販売をするなど販路も開拓していましたが、時代の流れもあって現在は宇野さんお一人で製作をされています。

 

■一閑張(一貫張)とは

 

 

一閑張に必要なのは、骨部分となる竹や木、和紙、柿渋と、どれも身近で手に入るものばかり。

昔の人は細工のしやすい竹などで骨を作り、和紙はお寺や庄屋さんから不要になった紙をもらって、柿渋の材料である渋柿は山や庭に植わっているものを使いました。

もし破れても直してまた使うことができる一閑張は、生活に身近な食器やカゴなどの生活道具として。また、補修技術としても使われていたそうです。

物が現代のように流通していなかった時代は、生活道具を買う機会は限られたものでした。

もし必要な生活道具が壊れてしまったとき、自分たちでも修繕できて、かつ丈夫な物をと作られたのが一閑張だとされています。

 

昔は当たり前のものだったため、全国各地それぞれの一閑張がありました。

一閑張という名前の由来にも諸説あり、農家さんが閑散期の閑(ひま)を見て作ったという説や、

自分たちで最初から最後まで一貫して作れることから由来したという説、

中国(明)から一閑張の技術を持って日本に来た人物・飛来一閑(ひらいいっかん)さんから名を取ったという説などがあります。

さらに作り方も大きく2つに分かれていて、

木や竹の骨に和紙を貼り重ね、漆を塗る方法と、

木や竹の骨に和紙を貼り重ね、柿渋を塗る方法があります。

この記事では一閑張の伝統工芸士・宇野雄三さんが作る一閑張についてご説明します。

 

■一閑張屋・宇野さん一閑張の作り方

 

骨の素材になるのは、竹や木、ガラスの空き瓶など多岐にわたり、

竹のお皿や籠、木の敷台(ディスプレイ台)や文箱、修繕した家具、牛乳瓶や今はもう販売されていないウイスキーボトルにも一閑張を施せます。

 

柿渋は山に生えている渋柿を使います。

渋柿をつぶして発酵させ、そうすると出てくる汁が柿渋です。

残った渋柿のカス部分は畑の肥料にしています。

 

柿渋にワラビの根と同じ成分の糊(のり)を混ぜ、渋糊を作ります。

ネズミがかじりに来ない成分を含むワラビの根を入れるのは、昔の人の知恵だそうです。

 

骨に渋糊を塗り、和紙を貼っていきます。

和紙は高知県いの町のもの、もしくは鳥取県青谷のものを使っています。

どちらも和紙の産地として有名です。

和紙には縦、横と繊維の向きがあります。

骨に貼るときにこの向きを間違えると、骨が竹や木の場合、反ってきてしまうので注意が必要です。

 

骨を用意する→渋糊を塗る→和紙を貼る→乾燥→渋糊を塗る→和紙を貼る→乾燥・・・

 

これを何度もくり返します。

ひとつの一閑張を作るのに、少なくとも10枚以上、多くて100枚もの和紙を使用します。

 

最後に「泥染め」という方法で仕上げます。

多くの一閑張の商品が柿渋の色である赤茶っぽい色をしているのに対し、宇野さんはこの泥染めをすることで濃淡を出し、

商品に豊かな表情を生んでいます。

 

 

泥染めの詳細については企業秘密ですが、名前の通り、泥を使った染色の方法です。

 

■一閑張のいいところ

 

骨が何かにもよりますが、竹や木の場合、見た目の重厚感とは違ってとても軽くできています。

それに何枚もの和紙と柿渋を塗り重ねているために丈夫で、柿渋には防水効果があるので水洗いもできます。

 

注意して欲しいのは、

紫外線に長時間当てないこと、水に浸かりっぱなしにしないこと、洗ったり濡れたりしたら乾いた布でふきとってもらうことです。

漆器の取り扱いとよく似ており、一閑張も漆器と同じように使い込んでいくうちに味が出てきます。

摩耗してきてもオリーブオイルをなじませた布で一閑張を拭くと、いい色合いになるのだとか。

泥染めの効果で色の出具合、濃淡がひとつひとつ違っていることも、愛着がわくひとつの要因になると思います。

 

■民芸城山、一閑張屋のこれから

 

 

日常生活の変化で一閑張の需要は少なくなり、生活が保証できない環境であるために宇野さんには後継者がいない状態です。

今まで技術と工夫を積み重ねてきたものがいつか無くなってしまうかもしれないことは本当に残念です。

ですが、宇野さんの一閑張は宇野さんにしか作れないものだとも思います。

船鍛冶の家で生まれたこと、疎開してきた香川での芸術活動を通しての人と出会い、一閑張の製作に至るまで、

全てが意味を持って宇野さんの一閑張を作り上げているからです。

 

一閑張屋の工場見学で広い敷地内にたくさんの資材、道具が集められているのを見て圧倒されました。

それぞれの商品で表情が違うので、ぜひ一度手にとって、

愛情と時間と技がこもった宇野さんの一閑張と出会ってほしいと願っています。

 

ハスイ