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サヌキノススメ第7回 その5『豆芳とひょうげ豆』

 

■豆芳と「ひょうげ豆」のはじまり

 

 

豆菓子やしょうゆ豆を製造、販売している豆芳さん。

創業は昭和23年(1948年)。今年で創業から66年になります。

直営店舗である兵庫町の「豆芳ひろば店」でかつては製造も行っていましたが、

現在は高松市国分寺にある元自動車修理工場に製造拠点を移しています。

 

当初はピーナッツや落花生が主な販売商品でしたが、

先々代の豆芳社長さんが香川町で行われる「ひょうげ祭」を見たことが「ひょうげ豆」誕生のきっかけになりました。

手軽に食べられる豆菓子はお土産物としても好評になり、ひょうげ祭に奉納もされています。

ほかにも、落花生が原料の豆菓子「豆ちん」などの他の豆菓子、

ひょうげ豆と同じそら豆が原料の「しょうゆ豆(香川の郷土料理)」も作っています。

 

■ひょうげ祭とは

 

香川県香川町で、旧暦の8月3日に行われる「奇祭」として知る人ぞ知るお祭りです。

香川県の有形文化財に指定され、県内外から2000人もの人が訪れるそう。

おかしな仮装と化粧をして、新池神社から新池というため池までのおよそ2キロの道のりを行列で歩き、最後は新池にかついできた手づくり神輿といっしょに飛び込みます。

厚化粧をしたり、刀の代わりにサトイモの茎を腰に差すなど、衣装はもちろん面白おかしい身振り手振りで“ひょうきん”に池まで向かうのですが、

おどける、ふざけるを方言で「ひょうげ」「ひょうげる」といい、お祭りの名前の由来になっています。

 

ひょうげ祭は、豊作を祈るのはもちろん、

「矢延平六(やのべへいろく)」という武士への感謝の気持ちからはじまったとのこと。

 

松平頼重公が高松藩主になったとき、頼重公に仕えていた下級武士の矢延平六も高松に来ました。

香川県の水不足は昔はもっと被害が大きく、頼重公は深刻な干ばつ・飢饉対策のために、いくつものため池の築造などの渇水対策を部下たちに命じます。

平六は身分は高くないものの優秀な土木技術を持っていました。

高松に整備された上水道づくりや、多くのため池づくりに携わった記録が残っているほどで、香川町のため池「新池」の築造も彼を筆頭に行われました。

香川町は荒れた土地が多く、新池が作られる予定の場所も高台でした。

そこで計画された「香東川の上流から新池まで水を引いていく」案は画期的なものでしたが、

それを実現させるため、夜に香東川上流から新池まで農民たちに松明を持たせることで高低差を計測したそうです。

こうしたたいへんな苦労の末、ようやく出来た大きなため池に地元の人々はとても喜びました。

新池は貯水量120万トンの香川県でも有数の大きさのものになりました。

 

しかし、その功績をねたんだ者から「新池は高松城を水攻めするために作った」という噂が流され、矢延平六は阿波国(徳島県)に追放されたといわれています。

新池を作るためにお金を使いすぎたという説もありますが、真実はわかりません。

追放されてしまった平六に深く感謝し、祭神として祭りあげた地元の人々たちは、新池神社をつくります。

そして平六が追放された旧暦の8月3日に今でもひょうげ祭をおこなっているのです。

平六にくだされたお上の追放命令に表立っては反抗できないぶん、

大名の格好をしてひょうげる神事を生み出したのではといわれています。

平六はのちに高松藩に再び仕えることができ、讃岐国に戻ると70代で亡くなりました。

 

■ひょうげ豆の作り方

 

『ひょうげ豆』は素揚げしたそら豆に、しょうがや砂糖で味付けしたタレをかけて作る豆菓子です。

タレはそら豆をつつむ衣になり、カリッとした歯ごたえになります。

 

まず、そら豆を素揚げし、さらに炒り機で15分ほど熱をかけます。

 

 

そら豆を炒っている15分のあいだにタレも同時進行で作ります。

まず鍋に水を入れ、砂糖(グラニュー糖)を混ぜた水あめと、手作業で切り刻んだ高知産のしょうがを入れます。

 

タレを作る鍋には秘密があります。

底についた「黒い焦げ」。

これは汚れではなく、ひょうげ豆の黄金色を出すための大切なポイントです。

最終的に133℃〜135℃、冬場には137℃までタレを煮立たせるのですが、その過程で熱によって焦げが浮いて全体に広がります。

この焦げによって、黄色がかったタレは濃い紅茶の色に変わっていきます。

また、3〜4粒がくっつていたり、形がいびつだったりして食べにくいひょうげ豆は商品からは取り除かれているのですが、そのひょうげ豆も保管しておき、タレを作る鍋に投入することで色出しに一役買っています。

これらだけで色が足りないときには微量の着色料も足しますが、焦げと商品にならなかったひょうげ豆は不可欠なものとのこと。

 

 

煮立たせすぎるなどしてタレがかたくなると豆に絡みにくくなります。

温度計はもちろんありますが、その日の天候や外気温によって調整するタイミングは職人さんの判断に任せられます。

 

熱をかけて終わったそら豆を煎り機から回転機に移し、くるくると回る豆の上からひしゃくでタレをかけていきます。

回転機に入れるのはタレを行き渡らせる目的もありますが、熱が回るので 保温効果が得られ、そら豆が冷めないうちにタレをかけて衣を定着させることができます。

 

 

5分から10分繰り返して完成です。

できたてのうちは衣がまだ温かく、しょうがの味が少し薄くなっています。翌日くらいのものが出来が良いそうです。

 

豆の熱が冷めるのを待ってから、タレが固まっているものがないか、カスがついてないか、3個以上くっついているものがないかなどを検品し、袋詰されます。

1回の作業でだいたい24㎏〜25㎏作られ、商品にすると240袋ほどになります。

 

 

■豆芳さんの想い

 

形が少しいびつな商品にならないひょうげ豆や、

長いあいだ使ってきたであろうストーブ(写真は豆ちんのタレをあたためるときに使います。詳しくはコチラ)などの道具。

 

 

使えるものは大事に使いながら、 時代の変化に合わせた商品づくりを心がけている豆芳さん。

現在はわずか3名で豆菓子としょうゆ豆の製造をしています。

 

全国的に名前を知られるまでになった、香川生まれの「希少糖」。

今の時代に合わせた商品として希少糖を使った豆菓子「さぬき豆菓子 さんさんとう(讃賛豆)」を開発し、

2014年の香川県産品コンクールでは入選を果たしました。

希少糖は砂糖(水あめ)にくらべて乾くのが遅く、気をつけていても豆同士のひっつきが多いそうです。

商品化までの創意工夫は多く、それでも大量生産ができないため今も試行錯誤を続けています。

 

 

創業当初からの豆菓子作りにも余年がありません。

ひょうげ豆をはじめとした豆菓子は見た目さえシンプルですが、

工場内での作業とはいえ外気の気温の影響を受けるためにマニュアルはなく、豆を炒る時間やタレを煮立たせる時間などは作り手さんの経験と目が物を言います。

そして年配のお客様たちのことを想って、豆同士がくっついて大粒になり、噛みにくいひょうげ豆は商品としては出さないなど、商品としてお店に並べる直前まで細かな作業になります。

作り手さんの目と技、心配りによって、変わらないおいしさが保たれているのです。

 

機械や道具の配置や動線など、少ない人数で効率よく働き、商品の質を保ち続ける工夫と努力が豆芳さんの工場に詰まっていました。

長く続いているものにはそれだけの理由があると思います。

それは生産者さんが努力と工夫をして、そして消費者さんがその品物を求めているからこそ。

食生活が変化していくことは止められませんが、

昔ながらの豆菓子も作り続けながら、希少糖を使った「さんさん豆」などの話題性のある新しいお菓子も開発している豆芳さん。

おじいちゃんおばあちゃんの世代から、お父さんお母さんへ、そしてその子どもへと引き継がれながら、

ひょうげ豆や、さんさん豆が新たな思い出の味としてこれからも続いていくのではないでしょうか。

 

 

豆菓子の袋にはもれなく金色のヒモがついているので便利です。

家族みんなで一気に食べても、1人で食べても大丈夫!こういった工夫も素敵ですね。

 

 

ハスイ