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サヌキノススメ第6回 その4『中橋造酢と仁尾の歴史について』

 

■中橋造酢のはじまり

 

仁尾には港があって海上交通が発達していたうえに、水にも恵まれた土地でした。

こうした理由から仁尾は商家が軒を連ね、狭い範囲にお寺がいくつもあることからも、豊かな町だったことがうかがえます。

当時は、酒や酢、醤油を作るのに丸亀藩の許可が必要だった時代です。

中橋造酢も丸亀藩からの許可をもらって創業しましたが、そもそもお酢作りを丸亀藩から命じられたのがきっかけなのだとか。

中橋造酢さんは香川県では初めての酢の醸造場といわれています。

屋号は田野屋です。

 

創業は1741年で、2014年現在で273年目を迎えました。

ですが、初代の中橋仁右衛門は1738年ごろ亡くなったと先祖代々の墓に刻まれていたとのこと。

創業以前は別の商いをしていたか、お酢の試作を繰り返していたのかもしれません。

 

■中橋造酢のお酢の作り方

 

 

材料となる水は湧き水。お米は白米。

水は地下から湧いていることから、水温が夏でも冬でもほぼ一定に保たれています。

中橋造酢さんで270年以上作り続けられている「仁尾酢」は、お米を原料とした米酢です。

お酢の素になる「種酢」には酢酸菌という菌が含まれています。

 

お米にこうじ菌と酵母を加えておくと、お米に含まれたデンプンがアルコール(お酒)に変化します。

アルコール度数はおよそ18度。

そのアルコールを食べるのが酢酸菌です。

食糧であるアルコールがなくなってしまうと酢酸菌は死んでしまい、杉桶の下に沈んでしまいます。

また、気温が高すぎても低すぎても菌は死んでしまうので、日々の温度管理も大切です。

温度を人肌程度に保つことが菌にとって最良の環境になります。

 

 

見学会で訪れた9月も杉樽にワラを巻くことで温度調節をしていました。

9月はまだ気温が高いので杉桶のフタを開けて中を見ることができましたが、冬になると上から下まできっちりとワラが巻かれ、フタも開け閉めしてはいけません。

 

アルコールがなくなるまでの期間は約3ヶ月。

菌が死んでしまう前に洗面器などで酢酸菌をすくいあげ、まだアルコールが残っている別の杉樽に移植します。

こうして同じ菌を繋いで現在に至っています。

 

 

最も菌が張りやすいという杉樽に入れられてお酢は作られます。

しかし、杉樽によってお酢の出来が少しずつ違ってくるそう。

その差は酢酸菌を取り除いて熟成させる期間(約1年半)の間に、別の杉樽のお酢を混ぜて調節し、味を一定に保っています。

 

 

■お酢の種類

 

お酢は原料や製造方法によって、いくつかの種類に分かれます。

白米ではなく、玄米をつかった玄米酢。小麦などの穀物をつかった穀物酢。

りんごの果汁を主な原料としたリンゴ酢など。

 

中橋造酢さんで作っている『米酢』はお米の甘みやまろやかさがあり、

他のお酢と比べてもクセが無いので色々な料理に合わせることができるそうです。

 

 

■中橋造酢のえんとつ

 

 

仁尾の漁師さんが帰り道の目印にしていたらしい、赤いレンガの煙突は現役です。

この煙突はお酢の原料になるお米を炊くときや、水を沸かすときに使う大きな釜の煙の通り道になっています。

釜の下から工場の地下にかけて煙突につながる道があり、煙突を通って外へと煙を流します。

 

1946年(昭和21年)の南海地震で高松も震度5を記録したときに3〜4メートルくずれ、

1995年(平成7年)の阪神大震災ではヒビが入ったため、ステンレスで補強がされました。

煙突が短くなった影響か、水が沸く時間など、作業に長く時間がかかるようになったそうです。

 

■現在までの中橋造酢

 

現在は11代目の中橋康一さん。10代目にあたるお父さんの仕事を学生時代から手伝っていました。

ゴルフがうまく、将来はプロゴルファーになる道も考えていましたが、

お父さんの身体の具合が悪くなったことをきっかけに若くして11代目として仕事を始めます。

今は康一さんと奥さんの登美子さん、康一さんのご両親、ときには4人のお子さんも手伝って、中橋造酢を支えています。

 

 

2011年から仁尾酢に地元・三豊産の果物を浸した『フルーツDE酢』の販売を開始しました。

『フルーツDE酢』の製品には果肉は残っていませんが、果肉を無駄にすることなく、ジャムに加工して販売しています。

 

仁尾で毎年開かれている「仁尾八朔人形まつり」の日には工場、蔵の中を開放して誰でも見学できるようにしていた中橋造酢さん。

そのときに見学するだけでなく、その場で味見ができるような果物のお酢がほしいというお客さんからの要望が6年ほど前に寄せられ、これがフルーツDE酢開発のきっかけとなりました。

 

 

柔らかい果物であれば仁尾酢が早くに浸透するため完成までの期間が短く、イチジクだと10日ほどで出来ます。

そのぶん、上に浮いてきやすく、表面が乾くとカビの原因になるので、1日に2回は混ぜないといけません。

びわは種を取り除いて、薄皮をむきます。

柑橘類は風味づけのために約1週間、皮もいっしょに浸けておきます。

果物が一番おいしい状態で仁尾酢に浸かり、おいしいお酢ができるよう、日々工夫を重ねています。

 

あくまでも地元・三豊産にこだわったフルーツDE酢の種類は季節によって異なり、商品としては今まで22種類も作られました。

パッケージは11代目の康一さんの息子さんが書いたもの。

もちろんラベル貼りまで中橋造酢さんで行われます。

 

■中橋造酢のこれから

 

何軒もあった仁尾の醸造場は、今は中橋造酢さんだけになりました。

中橋造酢さんも以前は従業員の数も多かったものの、今は家族で経営をしていますし、お酢だけではもとが取れないと11代目の康一さんは話されています。

そこで、同じ仁尾の材木屋さんからは釜に火を起こすための木材を。

知り合いの農家さんからは商品にはならない規格外の桃やキウイをもらい、フルーツDE酢の材料にしています。

需要の変化によって消費の厳しい時代に、地元の人間が協力して助け合うこと。

そして果物を使ったフルーツDE酢を開発するなど、アイデアを実行に移したうえで、果物に合わせて加工法を変える地道なものづくり。

中橋造酢さんは人と人との繋がりと仁尾酢の歴史を、これからも守っていきます。

 

(中橋造酢さんのホームページはコチラ)

 

■仁尾の歴史

 

仁尾には「仁尾城(もしくは仁保城)」というお城がありました。

いつ築城され、どんなお城だったかは定かではなく、城主は細川頼広といわれていますが、これも諸説あるようです。

長宗我部元親によって仁尾城が落城した日が陰暦3月3日だったことから、仁尾では亡くなった城主たちを偲んで3月3日にひな祭りが行われなくなりました。

そのかわり、男の子の節句の八朔の日(現在だとだいたい9月下旬)にひな人形を飾り、

ひな人形だけでなく、むかし話の一場面などの舞台を石や砂などで作り上げ、この日のためにと工夫をされた人形たちが家庭ごとに派手に飾られます。

人形を飾る家は年々減ってきているそうですが、町おこしとして1998年から始まった『仁尾八朔人形まつり』ではその風習を垣間見ることが出来ます。

 

香川県の伝統工芸品として「節句人形」も認定されており、作り手となる人形屋さんは仁尾にあります。

中橋造酢さんと同日に見学をした田井民芸さんでも作られている「張子虎」も、もとは大阪から仁尾港を経て伝わったとのこと。

この仁尾を中心として西讃の人形文化が花開いたようです。

 

次回は「田井民芸」さんと、仁尾にも関わりのある張子虎についての詳細です。

 

 

ハスイ