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サヌキノススメ第1回 その4『保多織と岩部保多織本舗について』

 

「サヌキノススメ」見学会の模様は、こちらのブログをご覧ください。

 

 

■保多織とは

 

基本となるのは上下交互に織っていく「平織」です。

保多織は1、2、3回はきちっと平織をします。

重要なポイントになるのが、4回目。

それまで下に織っていた糸を、上に織ります。

 

 

■保多織の特徴

 

上記の織り方をすると糸と糸の間に「すき間」ができます。

これで通気性や吸水性がよくなり、空気を通しやすいのでとても乾きやすく、

夏は涼しく感じることができます。

逆に冬の寒い時期は暖かい空気をすき間にとじこめるので、不思議と冷たくなりません。

凹凸のあるワッフル状に織られているために肌触りも良く、

また、4回目に糸を上にもっていくと、それまで織った糸が押さえつけられるため、丈夫な織物になります。

↑上部分が保多織の技法で。下部分が平織の技法で織られています。

 

 

■保多織の名前の由来

 

保多織(ぼたおり)には「多年を保つ」という意味合いがあります。

多く年月を耐えられる丈夫な織物。

そしてこれからの未来にも受け継がれ、使われていく織物になるようにと願いが込められていると、

岩部保多織本舗社長・岩部卓雄さんがお話してくださいました。

 

■保多織のはじまり

 

高松藩主・松平頼重公が幕府お抱えの京都の織物師、北川伊兵衛常吉に新しい織物の開発を命じ、

伊兵衛は3年をかけて保多織の技法を編みだしました。

これが保多織の始まりです。

伊兵衛は元禄2年に讃岐に居たという年譜が法然寺(仏生山)に残っています。

 

■保多織のうつりかわり

 

元々、献上品として保多織は生み出されました。

絹で織られてたいへん高価なうえに、位のある方々が着るための由緒ある織物でした。

保多織が庶民に広まったのは、徳川幕府の時代が終わり、明治に入ってからのこと。

それまで上流階級の人達が着ていたものを庶民が着るのはいかがなものかという意見もあったそうですが、

時代の流れもあり、現在の主流になっている綿を使った織物に発展しました。

 

■「岩部保多織本舗」の創業

 

現在の社長・岩部卓雄(たかお)さんのひいおじいさんにあたる岩部恒次郎(つねじろう)さんと

北川家7代目の方が協力をして、明治19年に創業しました。

岩部家は京都の北川家と姻戚関係にありました。

現在の社長、卓雄さんは19歳のとき、さぬき市長尾で小さな工場をしていた小谷さんに保多織を学びに行っていたとのこと。

保多織の工房は、以前は県内にいくつかあり、それを岩部家が取りまとめていた立場だったそうです。

 

■現在の保多織

 

今は主に、林町の工場で保多織は作られています。

工場のスタッフは3人。工場長、工場長のお母さん、そして岩部卓雄さんの次男です。

工場では自動織機(じどうしょっき)という機械で動く織機を使っています。

機械で織るからといって簡単ではありません。

気候や糸の太さ等によって糸の張り具合が違ってくるうえ、自動織機によってもクセがあるそうです。

ですが職人さんたちは自動織機の音で具合を聞き分けることができます。

 

■自動織機と手織り機

 

リズムをつかむまでに時間がかかりますが、

調子が出てくると糸の張り具合を確かめながらの作業は楽なのだそうです。

自動織機で織る前に少し試し織りをしたいときにも便利なため、

自動織機と手織り機を使い分けています。

 

■手織り機と出張出店

 

保多織の良さを1人でも多くの人に知ってもらうため、県内外問わず出張出店しています。

織り方の実演ができるように上下に分断して段ボールに詰められる織り機が

岩部保多織本舗さんの店舗に置いてありますが、それは卓雄さんとそのご友人とで作ったものです。

 

■保多織の商品

 

保多織の持つ特性(通気性や肌触りの良さなど)から、直接肌に触れる商品が多く取り扱われています。

男性用、女性用のシャツ、ズボンやワンピース。シーツやまくらカバー。

ハンカチや手ぬぐい、小物を入れられる巾着やお財布など。

シャツは襟の形が豊富で、まったく同じ色、形のものがないのではないかと思うほどでした。

 

■岩部保多織本舗さんの想い

 

お殿様たちの織物だった保多織が庶民の織物になったように、

庶民の服が着物が洋服へと変わったように、

時の流れによる生活の変化は織物にも関わっていきます。

1人でも多くの人に保多織を実際に触って、着て、使ってもらって、その良さを広めていきたいと、

卓雄さんは話しています。

 

★岩部保多織本舗さまのホームページはこちら

 

 

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