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サヌキノススメ第7回 その6『小比賀彫芸・朝倉彫刻店と欄間彫刻』

 

■欄間とは

 

日本家屋には欠かせない『欄間』

和室と和室をつなぐ襖(ふすま)の上などに仕切りとして設置され、

外からの光を取って室内を明るくしたり、風通しを良くするなど、見た目の風靡さのほかにも役割があります。

具体的にいつごろから作られ始めたのかはわかりませんが、

その昔、欄間は神社やお寺にあるものでした。

それが貴族など位のある人の権力の高さをあらわす役割を持ち始め、住居にも使われるようになります。

一般の住宅に普及していったのは江戸時代に入ってから。

そして香川県で欄間の技術が伝わったのは1600年後半ごろ。

松平頼重公を慕って飛騨(岐阜県)から移り住んだ木工職人から広まったといされています。現在、「欄間彫刻」は香川県の伝統的工芸品に指定されており、数名の伝統工芸士さんもいらっしゃいます。

 

 

欄間は大きくわけて2つの種類があります。

彫刻をするか、木を組むかです。

「彫刻欄間」は文字通り彫り物。色々なモチーフを彫刻刀で彫っていきます。

 

 

こちらは透かし彫りという技法です。

透かし彫りの欄間は彫らず、木を絵柄に切り抜いて作ります。

 

 

レリーフのように模様を浮き立たせる浮き彫りの欄間もあります。

 

木を組んで作る欄間にもいくつか種類があります。

 

障子欄間という開閉できるものから、細い木を敷きつめたかのようなもの、竹で組んだもの。

また、0.1ミリ単位で部品となる木のパーツを削り、あらかじめ彫った溝に別の木のパーツをいれることで留め具なしで重ねあわせ、

幾何学模様を作り出す「組手(くで)欄間」などです。

組手欄間は地域によっては組木、組子とも呼ばれていますが、

香川県の伝統的工芸品にも指定されているのは「組手障子」という名称になります。

 

欄間は依頼主の住宅や好みに合わせて作られるオーダーメイド品。

たくさんの種類が生まれたのも納得です。

 

 

■欄間彫刻の作り方

 

欄間はその家の間取りによって、長さや厚さが違います。

図柄も依頼主の好みによって変わってきますし、上下左右で図柄がからみあう複雑さや図柄の細かな起伏などを表現するために、全てが手作業で作られます。

使われる木は長持ちするものが選ばれますが、 屋久杉など特別な木材で注文が入ることもあります。

 

 

作り方は作り手さんによって違いがあるかと思いますが、

紙にラフを書き、紙から木に複写するか木に直接書いて下書きをします。

 

 

貫通する箇所を電動ミシンで抜きます。

欄間は長さがあるため、電動ミシンはその長さに対応できるような大きさです。

抜いた木片は別の商品に使うので、捨てることはありません。

 

 

電動ミシンの針部分も、木の堅さや木目、抜く箇所によって幾つもの種類を使い分けます。

細やかな下書き通りに抜いていくのも、技術が必要な作業です。

 

 

あとは何種類もの彫刻刀でひたすらに彫ります。

 

 

■朝倉彫刻店について

 

 

明治元年(1868年ごろ)に創業してから現在まで約147年。

初代の朝倉津太郎さんは宮大工として働いており、25歳のときに独立。宮大工として創業したのが始まりです。

宮大工は神社仏閣を伝統的な技法をつかって修復、建造する専門の大工。

自分が使うカンナなどの道具も手づくりし、クギやビスを一切使わずに木でできた栓や楔(くさび)で組み上げていきます。

欄間作りもこなせるほど木に精通した職人さんたちです。

 

津太郎さんの後継として高助さんが継いで2代目に。

3代目は高助さんの息子・辰雄さんが後を継ぎますが、後に別の道を選びました。

 

4代目は高助さんの甥で、その下で宮大工をしていた 善雄さん。

善雄さんは彫刻が上手かったそうで、19歳ごろに欄間職人になるべく修行に出ます。

高松市のフェリー通りにあった彫刻店で技を高めましたが、その彫刻店は今はありません。

善雄さんは初代・津太郎さんと同じ25歳のときに独立。

そして「朝倉彫刻店」の名をかかげました。

戦前は丸の内にあった店は戦争で燃えてしまい、現在の松福町へ移転します。

 

5代目は善雄さんの息子の理さん。

当時の香川県知事である金子知事の命を受けて「香川県欄間商業組合」を設立。

昭和63年に「欄間彫刻」が香川県の伝統的工芸品に指定されました。ご自身も伝統工芸士です。

6代目を継ぐ準一さんは、父である理さんと共に欄間を作りつつ、

木そのものの知識と木への情熱を活かして、200種類以上の木でお箸も製作。

「作れるものはなんでも作る」の精神で、張子虎(香川県伝統的工芸品)を作る田井民芸さんの虎の木型など、別の工芸品とのコラボレーションやお手伝いも積極的に行っています。

木に関してのプロとして、彫刻師として、作ってなんぼの世界でこれからも生き残っていくために人の輪を広げながら物づくりをしています。

 

■小比賀彫芸について

 

 

小比賀彫芸さんは現在1代目。

伝統工芸士でもある小比賀正(ただし)さんは中学校卒業後、高松市栗林町の土居工芸さんに弟子入り。

16年の修行ののちに独立して創業、その後、伝統工芸士に任命されました。

昭和50年(1975年)創業から、現在まで約40年。

正さんとその奥さんで役割分担をしながら仕事をこなしています。

一般の方を対象に欄間(彫刻)の教室を開いており、自分の家の表札や欄間を作りたい方や、

地元のお祭で使われる道具を修復できるようになりたいなど、いろいろな目的を持った方が学びに来られています。

血の繋がりはなくても、欄間彫刻を好きな人が技を継承していくことが今の時代に合っていると感じています。

好きだからこそ工夫のある物づくりをすることができる。それがこれからの彫刻欄間を変えていくのではと考え、教室をその間口にしています。

 

■香川の欄間のこれからと、作り手の想い

 

和風建築よりも洋風建築が圧倒的に多くなった今、欄間彫刻の注文は減りました。

その分、直接お客さんとやり取りをすることで新しい商品やお客さんが求める商品を作っています。

お客さんの声を直接聞くことは大変さもありますが、生活の変化でお客さんが求める物が変わってきたことをひしひしと感じているそうです。

朝倉彫刻店さんも小比賀彫芸さんも、木のプロである「彫刻家」。

欄間彫刻だけでなく、その技と知識で仏さまやふくろうなどの彫刻の置き物。透かし彫りを施したオーダーメイドの洋風のドアや、ミニ欄間、寺社の屋根下や天井部分の彫刻も手がけています。

変化した生活環境を昔に戻すことはできませんが、日本のかけがえのない伝統の1つである欄間彫刻の技を活かし、守りながら、

現代の人々にその美しさや素晴らしさを知ってもらうために朝倉さんも小比賀さんも物づくりに励んでいます。

 

朝倉彫刻店さんのホームページはこちら

 

小比賀彫芸さんの見学会ブログと、

朝倉彫刻店さんの見学会ブログも合わせてご覧ください。

 

ハスイ

 

【ラジオ】サヌキノススメ in タカマツシティリミッツ 第10回(1月27日放送分)

FM815(FM高松)で毎週火曜日に生放送されている「タカマツシティリミッツ」。

 

毎月第4週は「サヌキノススメ」コーナー。

 

第10回は1月27日に生放送。今回は海苔の地濱水産さんから地濱さんをゲストにお迎えしてお話を伺いました。

 

今回の見学先は讃岐かがり手まりの讃岐かがり手まり保存会さんと、海苔の地濱水産さん。

 

まずは讃岐かがり手まり保存会さんの見学会の様子をご紹介。
糸の一本一本から手染めして作られているかがり手まり。一度は絶えてしまった手まりの作り方などの記録を荒木さんご夫妻が調べ現在の形につくりあげ、香川県の伝統的工芸品にも指定されています。

 

そして、地濱水産さんをゲストに迎え海苔についてのお話を聞かせていただきました!
自分で料理して海苔を食べて欲しいとの思いを伺いました。ちょっと古くなった海苔を佃煮にしてパンに挟んでもおいしいそう。以外と洋風な料理にも合う海苔。そんな海苔を使った料理を提案する場を作ることも考えられているとのことで、楽しみです。

 

放送は以下からお聞きいただけます!

(約25分のコーナーを4分割しております)

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第10回(1月27日放送分)その1

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第10回(1月27日放送分)その2

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第10回(1月27日放送分)その3

 

サヌキノススメinシティリミッツ 第10回(1月27日放送分)その4

サヌキノススメ第7回 その5『豆芳とひょうげ豆』

 

■豆芳と「ひょうげ豆」のはじまり

 

 

豆菓子やしょうゆ豆を製造、販売している豆芳さん。

創業は昭和23年(1948年)。今年で創業から66年になります。

直営店舗である兵庫町の「豆芳ひろば店」でかつては製造も行っていましたが、

現在は高松市国分寺にある元自動車修理工場に製造拠点を移しています。

 

当初はピーナッツや落花生が主な販売商品でしたが、

先々代の豆芳社長さんが香川町で行われる「ひょうげ祭」を見たことが「ひょうげ豆」誕生のきっかけになりました。

手軽に食べられる豆菓子はお土産物としても好評になり、ひょうげ祭に奉納もされています。

ほかにも、落花生が原料の豆菓子「豆ちん」などの他の豆菓子、

ひょうげ豆と同じそら豆が原料の「しょうゆ豆(香川の郷土料理)」も作っています。

 

■ひょうげ祭とは

 

香川県香川町で、旧暦の8月3日に行われる「奇祭」として知る人ぞ知るお祭りです。

香川県の有形文化財に指定され、県内外から2000人もの人が訪れるそう。

おかしな仮装と化粧をして、新池神社から新池というため池までのおよそ2キロの道のりを行列で歩き、最後は新池にかついできた手づくり神輿といっしょに飛び込みます。

厚化粧をしたり、刀の代わりにサトイモの茎を腰に差すなど、衣装はもちろん面白おかしい身振り手振りで“ひょうきん”に池まで向かうのですが、

おどける、ふざけるを方言で「ひょうげ」「ひょうげる」といい、お祭りの名前の由来になっています。

 

ひょうげ祭は、豊作を祈るのはもちろん、

「矢延平六(やのべへいろく)」という武士への感謝の気持ちからはじまったとのこと。

 

松平頼重公が高松藩主になったとき、頼重公に仕えていた下級武士の矢延平六も高松に来ました。

香川県の水不足は昔はもっと被害が大きく、頼重公は深刻な干ばつ・飢饉対策のために、いくつものため池の築造などの渇水対策を部下たちに命じます。

平六は身分は高くないものの優秀な土木技術を持っていました。

高松に整備された上水道づくりや、多くのため池づくりに携わった記録が残っているほどで、香川町のため池「新池」の築造も彼を筆頭に行われました。

香川町は荒れた土地が多く、新池が作られる予定の場所も高台でした。

そこで計画された「香東川の上流から新池まで水を引いていく」案は画期的なものでしたが、

それを実現させるため、夜に香東川上流から新池まで農民たちに松明を持たせることで高低差を計測したそうです。

こうしたたいへんな苦労の末、ようやく出来た大きなため池に地元の人々はとても喜びました。

新池は貯水量120万トンの香川県でも有数の大きさのものになりました。

 

しかし、その功績をねたんだ者から「新池は高松城を水攻めするために作った」という噂が流され、矢延平六は阿波国(徳島県)に追放されたといわれています。

新池を作るためにお金を使いすぎたという説もありますが、真実はわかりません。

追放されてしまった平六に深く感謝し、祭神として祭りあげた地元の人々たちは、新池神社をつくります。

そして平六が追放された旧暦の8月3日に今でもひょうげ祭をおこなっているのです。

平六にくだされたお上の追放命令に表立っては反抗できないぶん、

大名の格好をしてひょうげる神事を生み出したのではといわれています。

平六はのちに高松藩に再び仕えることができ、讃岐国に戻ると70代で亡くなりました。

 

■ひょうげ豆の作り方

 

『ひょうげ豆』は素揚げしたそら豆に、しょうがや砂糖で味付けしたタレをかけて作る豆菓子です。

タレはそら豆をつつむ衣になり、カリッとした歯ごたえになります。

 

まず、そら豆を素揚げし、さらに炒り機で15分ほど熱をかけます。

 

 

そら豆を炒っている15分のあいだにタレも同時進行で作ります。

まず鍋に水を入れ、砂糖(グラニュー糖)を混ぜた水あめと、手作業で切り刻んだ高知産のしょうがを入れます。

 

タレを作る鍋には秘密があります。

底についた「黒い焦げ」。

これは汚れではなく、ひょうげ豆の黄金色を出すための大切なポイントです。

最終的に133℃〜135℃、冬場には137℃までタレを煮立たせるのですが、その過程で熱によって焦げが浮いて全体に広がります。

この焦げによって、黄色がかったタレは濃い紅茶の色に変わっていきます。

また、3〜4粒がくっつていたり、形がいびつだったりして食べにくいひょうげ豆は商品からは取り除かれているのですが、そのひょうげ豆も保管しておき、タレを作る鍋に投入することで色出しに一役買っています。

これらだけで色が足りないときには微量の着色料も足しますが、焦げと商品にならなかったひょうげ豆は不可欠なものとのこと。

 

 

煮立たせすぎるなどしてタレがかたくなると豆に絡みにくくなります。

温度計はもちろんありますが、その日の天候や外気温によって調整するタイミングは職人さんの判断に任せられます。

 

熱をかけて終わったそら豆を煎り機から回転機に移し、くるくると回る豆の上からひしゃくでタレをかけていきます。

回転機に入れるのはタレを行き渡らせる目的もありますが、熱が回るので 保温効果が得られ、そら豆が冷めないうちにタレをかけて衣を定着させることができます。

 

 

5分から10分繰り返して完成です。

できたてのうちは衣がまだ温かく、しょうがの味が少し薄くなっています。翌日くらいのものが出来が良いそうです。

 

豆の熱が冷めるのを待ってから、タレが固まっているものがないか、カスがついてないか、3個以上くっついているものがないかなどを検品し、袋詰されます。

1回の作業でだいたい24㎏〜25㎏作られ、商品にすると240袋ほどになります。

 

 

■豆芳さんの想い

 

形が少しいびつな商品にならないひょうげ豆や、

長いあいだ使ってきたであろうストーブ(写真は豆ちんのタレをあたためるときに使います。詳しくはコチラ)などの道具。

 

 

使えるものは大事に使いながら、 時代の変化に合わせた商品づくりを心がけている豆芳さん。

現在はわずか3名で豆菓子としょうゆ豆の製造をしています。

 

全国的に名前を知られるまでになった、香川生まれの「希少糖」。

今の時代に合わせた商品として希少糖を使った豆菓子「さぬき豆菓子 さんさんとう(讃賛豆)」を開発し、

2014年の香川県産品コンクールでは入選を果たしました。

希少糖は砂糖(水あめ)にくらべて乾くのが遅く、気をつけていても豆同士のひっつきが多いそうです。

商品化までの創意工夫は多く、それでも大量生産ができないため今も試行錯誤を続けています。

 

 

創業当初からの豆菓子作りにも余年がありません。

ひょうげ豆をはじめとした豆菓子は見た目さえシンプルですが、

工場内での作業とはいえ外気の気温の影響を受けるためにマニュアルはなく、豆を炒る時間やタレを煮立たせる時間などは作り手さんの経験と目が物を言います。

そして年配のお客様たちのことを想って、豆同士がくっついて大粒になり、噛みにくいひょうげ豆は商品としては出さないなど、商品としてお店に並べる直前まで細かな作業になります。

作り手さんの目と技、心配りによって、変わらないおいしさが保たれているのです。

 

機械や道具の配置や動線など、少ない人数で効率よく働き、商品の質を保ち続ける工夫と努力が豆芳さんの工場に詰まっていました。

長く続いているものにはそれだけの理由があると思います。

それは生産者さんが努力と工夫をして、そして消費者さんがその品物を求めているからこそ。

食生活が変化していくことは止められませんが、

昔ながらの豆菓子も作り続けながら、希少糖を使った「さんさん豆」などの話題性のある新しいお菓子も開発している豆芳さん。

おじいちゃんおばあちゃんの世代から、お父さんお母さんへ、そしてその子どもへと引き継がれながら、

ひょうげ豆や、さんさん豆が新たな思い出の味としてこれからも続いていくのではないでしょうか。

 

 

豆菓子の袋にはもれなく金色のヒモがついているので便利です。

家族みんなで一気に食べても、1人で食べても大丈夫!こういった工夫も素敵ですね。

 

 

ハスイ

 

 

2月21日(土)ミニ欄間のワークショップ

2月のワークショップの募集内容になります。

皆さん、ご応募お待ちしております。

 

 

 

詳細です。

 

2月21日

受付時間 13:10〜

開始時間 13:30〜15:30頃(欄間仕上がりご終了)

材料費 700円

定員 10名(先着順)

持ち物 お持ちの方は彫刻刀

対象年齢 小学生4年生以上の方対象(小学校は保護者同伴)

 

※ご予約の際に、利き手(右、左)をご記入のうえ、

欄間の絵柄(ふくろう、富士山、桜)

欄間の最終形態(ミニ欄間、壁掛け、ペン立て)をお選び下さい。

※全て、定員制・ご予約制です。

※キャンセルの場合は2月19日までにご連絡ください。

 

参加受付は1月24日(土)午前11時〜

こちらからです。 >>CLICK 

 

香川漆器の蒔絵盆!!

香川漆器の蒔絵盆!!

香川を代表する漆が身近に感じられるワークショップになりました!!

カシューと言う、代用漆を使います。

初めての人でも、被れる事もないので、安心して体験ができました!!

 

色とりどりの色粉!!とてもキラキラしていて

綺麗ですね。

まずは、真っ黒いお盆に下絵を書き写します。

ハンコを押したりもできます。

下絵をカシューで縁取りをしてから、

分厚くならないように丁寧に丁寧に塗って行きます!!

カシューを塗った後から、筆を使って

周りから色粉を付けて行きます。

細かく細かく、集中をして作業をしております。

色粉をつける作業を間近で見ると、まるで漆器が、

お化粧をしているかの様に綺麗に仕上がって行きます。

最後は、工芸士の先生に仕上げをしてもらいます。

 

筆使いや粉の振り方がとても,繊細な作業でしたが

参加者の皆さんには楽しい時間が過ごせたかと思います。

ご参加ありがとうございました。