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サヌキノススメ第2回 その4『高松張子と張子工房ウスイについて』

■高松張子のはじまり

 

その歴史は江戸時代にまでさかのぼります。

城下町だった鍛冶屋町には、古くから人形や玩具を作るお店が多かったそうです。

張子の人形は子どもの遊び道具としてありました。

 

■「奉公さん」とは

 

高松張子の代表格といえば奉公さんです。

生駒のお殿様がいた時代、お姫様が病気になり、その身代わりにおそばつかえの少女「おマキ」がお姫様の病気をうつし受けました。

そしておマキは離れ小島で短い一生を終えたという伝説があります。

奉公さんが着ている着物の色は赤。

赤色は魔除けや病除けになると信じられていたため、伝説のこともあって、昔は子どもが病気になると奉公さんを海に流していたともいわれます。

 

■高松張子のつくりかた〜張子工房ウスイさん編〜

 

見学会用につくったしおりを参考にします。

※乾かす過程が飛んでいますね。スミマセン!

 

 

臼井さんが平面でイメージを描いたあと、それを元に美術学校出身の奥さんがデザインを描きます。

それを実際に張子におこすために臼井さんが手直しをして、設計図完成です。

この設計図をもとに、土で型をつくります。

ほかの土も使ったことがあるそうですが、今は岡山の備前焼の土(粘土)を使い、市内の陶芸教室の窯で焼いてもらいます。

窯の温度はだいたい1200℃。これを焼締め(やきしめ)と言います。焼締めをすると型はちぢみます。

このちぢみも計算して、型を作ることが肝心です。

 

まず出来上がった型に食油を塗ります。あとで型から紙を取り出しやすくするためです。

 

型に貼っていく紙は新聞紙と和紙。

型によって紙の切り方は色々ですが、

まず新聞にのりをつけて、和紙と重ね合わせます。

(ちなみにのりも手作り。水と小麦粉をといて、中火で沸騰するまで混ぜていきます。強火にしてしまうと膜がはってしまってダメだそうです)

新聞紙はのびがあまりないぶん、乾くと張りが出ます。

和紙はのびや粘りがありますが、あまり固くならないそうです。

 

型に紙を貼ると乾かします。

天気の良い日は天日乾燥。ですがウスイさん宅にはお手製の乾燥機が!

中まで乾くのには30分から1時間かかります。

 

乾いてから、型から紙を取り出します。

しっかり型にくっついているので取り出すのはなかなか大変。

あらかじめ型につけられた切り込みにカッターをいれて、パカっと取り出します。

ちなみに使い込んだ型ほど取り出しやすいのは、食油がなじんで残っているため。

上の画像にあるたぬきのお遍路さんの型もつるつるしていました。

 

カッターをいれた部分をのりで閉じ、胡粉とニカワを混ぜたものを塗っていきます。

ニカワとは動物の皮や骨などから抽出した接着剤。

熱を加えると溶けて、冷やすと固まります。

胡粉(ごふん)とは白色の顔料。貝殻からつくられます。

中国の西方を意味する胡(こ)から伝えられたのが語源らしいです。

 

■臼井さんの張子づくりの一番の条件とは

 

根気だそうです。

張子作りにはとにかく手間がかかり、効率をあげることができません。

ニカワやのりなどの材料を作るのにも手がこんでいますよね。

 

■『張子工房ウスイ』のはじまり

 

臼井融(とおる)さんは兵庫県神戸市出身。

香川の大学に進学するために香川に来ました。

そこで臼井さんは宮内フサさんが作った高松張子と出逢います。

実際にフサさんご本人とも何度か会い、このことが高松張子作りをはじめる大きなきっかけになりました。

そして高松張子と出会って数年後、乃村玩具さんに就職。

主な役割は営業でしたが、簡単な絵付けなどもされました。

ですが顔の絵付けなど大事な部分は本職の方が行うため、

1990年、40歳のときに独立をされてから初めて体験した作業もあったとのことです。

 

■宮内フサさん

 

宮内フサさんは1883年生まれ。

高松市鍛冶屋町で人形師をしていた父親をもち、幼いころから人形を作っていたそうです。

高松張子を広めたのがフサさんが作る張子といわれ、香川のみならず全国にファンをつくりました。

現在、3代目のみき子さんが嫁ぎ先の神戸で宮内張子を作り続けています。

 

■臼井さんのこれから

臼井さんがもともと県外から来て高松張子と出逢い、伝統工芸士にまでなったように、

また誰かが高松張子の魅力を伝えていってくれるだろうとお話してくれました。

毎年、地元中学生に張子づくり体験を行っています。

その学生さんたちのなかから将来の張子職人が生まれるかもしれません。